相模の歌碑
伊勢原市の奥にある日向山霊山寺、通称日向薬師は、霊亀二年(七一六)に行基が開いた。寛仁年間の頃、相模の国司大江公資の妻相模は眼病平癒の祈願をして日向薬師に参籠し、次の歌を柱に書き付けた。
さして来し日向の山を頼む身は目も明らかに
見えざらめやは
新編相模風土記「薬師堂日向山」の條には、「遥かなる程に在りし折、目に煩ふ事ありて日向と云ふ寺に籠りて薬師経など読せし次でに出でし日、柱に書きつけし」とある。ちなみに相模は、源頼光の娘で平安朝の女流歌人。中古三十六歌仙の一人。
鎌倉期には、頼朝、政子などが参詣している。『吾妻鏡』には、頼朝が武将を連れて娘の大姫の病気平癒の祈願に訪れたことが書かれている。
伊勢原の街路樹として百日紅
禾そよぐ玉蜀黍の畑かな
みんみんや相模の歌碑を書き写す
蝗跳ぶ日向薬師の棚田かな
秋風のいせはらひぶせ不動尊
大姫の快癒祈りに詣で来し白装束の父の将軍
大いなる蜂の巣ふりて垂れ下がる日向薬師の藁屋根の軒
「おんころころせんだりまとうぎそわか」唱へてをろがめり
見えざる薬師瑠璃光如来