天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

新春の北鎌

水仙花

 今週末は三連休のせいか、暮から正月休みに続けてずっと休んでいる勤め人が多いようである。鶴ヶ丘八幡宮に向う道は、自動車が長蛇の列をなしていた。よって今日は北鎌の円覚寺東慶寺のみを歩いた。円覚寺臨済宗を奉じ、正式名称は、瑞鹿山大円覚興聖禅寺という。山内には十八ケ寺の塔頭がある。大方の塔頭には、檀家以外の観光客は入れない。居士院の横の道を入って上方に石段を登ると龍隠庵という塔頭がある。家も蔵も安普請だが、時間をかけて手入れしており、特に道や庭は、行き届いている。円覚寺にくると必ずここに立ち寄って緋毛氈のベンチに腰掛けて仏殿や山門の青い屋根を見下ろす。
 東慶寺の今朝の受付は無人で、入門料は百円であった。墓地を巡り歩くだけなので、通常の観光客の数は多くない。これといった催しもない。見慣れた文人の墓をめぐった。円覚寺でも東慶寺でも多くはないが水仙が咲いていた。


      朝光やふくら雀の胸白き
      水仙のこぼせる朝の光かな
      笹鳴の墓地をめぐりぬ東慶寺
      もみぢ散る田村俊子の墓とのみ
      笹鳴や田村俊子の墓荒ぶ


  箒目に足跡つけてあらたまの山門くぐる朝光の中
  あらたまの朝の光にしづもれる佛牙舎利塔暗き口開く
  石仏のあれば手合はすあらたまの光のどけき鎌倉の道
  色失せて銀杏落葉の朽ち果てし庭につのぐむ三椏の木々