天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

和歌と短歌

 小高 賢著『現代短歌作法』を取り寄せて読んでいる。短歌現代3月号で誰かが引用していたので、独自性のある高度な内容を期待していたのだが、どうやら入門書のようだ。
和歌と短歌の区別がどうもつかない、多くの短歌史を読んでも意外にはっきりしていない、などと歯切れの悪いことを書いているが、百科事典を見れば極めて明快な説明がある。例えば、WEBのエンカルタ百科事典ダイジェストには、次ぎのように出ている。


   漢詩(からうた)に対する「やまとうた」、すなわち日本の
   歌の意。倭歌とも表記し、国歌、「敷島の道」などともいう。
   長歌、短歌、旋頭歌など5・7音を基調とした定型詩をさすが、
   時代がくだると短歌以外の歌の形がほとんどもちいられなく
   なり、実際は短歌をさすようになった。しかし、歌謡、連歌
   俳諧、俳句、近代の短歌などは、歴史的に和歌の範囲には
   ふくめない。
   「和歌」の表記は「万葉集」にすでにみられるが、大和の国
   (日本)の歌という意味ではなく、「和する歌」「和(こた)
   ふる歌」の意味でもちいられていた。しかし、漢詩に対する
   「やまとうた」の意識の芽生えは、「万葉集」の中でも大伴
   家持の歌などにみられ、それは「古今和歌集」の序文で歌論
   として明確に自覚されるようになった。



 明治期の正岡子規などによる短歌革新を契機に、もっぱら短歌という言葉が用いられるようになっただけである。