天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

短歌と創作

胡蝶蘭

 「短歌研究」十一月号に、〈短歌で許される「創作」の範囲とは〉 が特集されている。短歌に関っていない人から見ると、変なことを議論しているな、と思うのではないか?短歌といえども文芸なのだから創作は当然でしょう、そもそも和歌が盛んになった平安時代からあるいはもっと古く万葉時代から、和歌では題詠や宴席歌が中心であり、それらは作者の現実を詠むことよりは、創作によったのではないか? 
 短歌や俳句が作者の現実を詠むべき文芸であらねばならない、という規範はいつどこで発生したのであろうか? 答は、明治における文芸の近代化、特に正岡子規による短歌や俳句の革新運動に端を発する。加えて大正から昭和にかけてのプロレタリア文芸などが大きく影響した。俳句では、石田波郷が「俳句は私を読む文芸」と規程した。なお漢詩の世界では、古くから詩とは「個人の述志の文芸である」と考えられていた。
 「短歌研究」十一月号の特集でも、高野公彦が、短歌作品を読む場合に、作者名・年齢・性別が必須であると主張する。恋愛を実際にしたこともない若い作者が、作者の履歴を隠して熟年の恋を詠うなど言語道断なのである。
 このような行き方・考え方に真っ向から異を唱えたのが、塚本邦雄寺山修司に代表される前衛短歌であった。塚本は、「もともと短歌といふ定型短詩に、幻を見る以外の何の使命があらう」と言い切った。名前など忘れられて作品だけが世間に広まることが理想である、一首のみで立ち上がり一人歩きする優れた作品を作ればよい、という信念を持っていた。