芭蕉と茂吉
山口誓子の『芭蕉秀句』では、芭蕉の句の本歌・古典的背景を分析しているが、同時に、芭蕉の句が斎藤茂吉の歌に与えた影響、つまり茂吉が本歌取りした芭蕉の句についても言及している。以下に、芭蕉の句と誓子が対応させた茂吉の歌を並べて示す。
馬をさへながむる雪の朝哉
しんしんと雪ふるなかにたたずめる馬の眼はまたたきにけり
父母のしきりに恋し雉子の声
あららぎのくれなゐの実を食むときはちちはは恋し信濃路にして
こらへゐし我のまなこに涙たまる一つの息の朝雉のこゑ
初しぐれ猿も小蓑をほしげ也
月あかきもみぢの山に小猿ども天つ領布(ひれ)など欲り
してをらん
昼見れば首筋赤きほたる哉
蚕の部屋に放ちし蛍あかねさす昼なりしかば首すぢあかし
病雁の夜さむに落て旅ねかな
よひよひの露ひえまさるこの原に病雁おちてしばしだにゐよ
きりぎりす忘音(わすれね)に啼く火燵哉
きりぎりす夜寒に秋のなるままによわるか声の遠ざかり行く
衰や歯に喰あてし海苔の砂
海のべの唐津のやどりしばしばも噛みあつる飯の砂のかなしさ
蛭の口処(くちど)をかきて気味よき
雲取を越えて来ぬれば山蛭の口処あはれむ三人よりつつ
なお、誓子は、茂吉の歌
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり
を、西行の歌
としたけてまた越ゆべしとおもひきや命なりけりさ夜の中山
と、芭蕉句
此の道や行く人なしに秋の暮
とを引き継いだものと理解している。