松の根っこ(13/15)
本歌取り・挨拶句
三鬼の俳句に山口誓子の影響が大きいことは、前衛歌人塚本邦雄が、『変身』の冒頭を過ぎた時期から、「夏の河」の面影さらに無く、こけおどしの瑣末趣味すら感じる、凡庸化した誓子作品に、プライドも自己主張も喪って、ひたすら帰依し始めているのだ、と罵倒するほどである。
こほろぎの溺れて行きし後知らず
昭和二十三年の作。昭和十五年、誓子の句に「蟋蟀が深き地中を覗き込む」 がある。
夏涸れの河へ機関車湯を垂らす
昭和二十六年の作。誓子の句、昭和八年に、「夏草に汽缶車の車輪来て止る」 また、昭和十二年に、「夏の河赤き鉄鎖のはし浸る」がある。特に後の句は、三鬼に大きなショックを与えたという。
低き細き噴水見つつ狂者守る
歌人斎藤茂吉の短歌の影響が強いと見る。実際の情景は、『京大俳句』以来の親友、精神科医平畑静塔が勤める病院を訪れた時のものであろう。
秋の航一尾の魚も現れず
昭和二十六年の作。松山七句の内にあり、草田男を詠んだ句もある。従って、草田男・『長子』昭和十一年の、「秋の航一大紺円盤の中」の本歌取りであり、草田男への挨拶句である。
初蝶や波郷に代り死にもせで
昭和二十四年の作。これは、波郷・『風切』昭和十八年の有名な句、「初蝶やわが三十の袖袂」を念頭においたもの。現実は、三鬼の方が七年早く死に、波郷が弔辞を書いた。時代が過ぎて、結果を考え合わせると、あわれな句である。
なお、誓子調の句については、塚本邦雄にひどいことを云われたのだが、逆に三鬼の名句から塚本邦雄が次のように本歌取(本人はパロディだと茶化しているが)の短歌を作っている。
本歌の三鬼俳句は、
算術の少年しのび泣けり夏
塚本短歌の方は、
まづ脛より青年となる少年の真夏、流水算ひややかに
である。なお塚本邦雄は、こうした三鬼独自の境地に達した俳句では、誓子より高く評価していることを、三鬼の名誉のために付け加えておく。