天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

西行と芭蕉

 山口誓子著『芭蕉秀句』についての補足。西行を慕うあまり、西行の歩いた場所を訪ね歩いた芭蕉は、そこで句を作った。有名な例として、小夜の中山での作品。以下、西行の歌、芭蕉の句とペアで示す。


  年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさ夜の中山
       命なりわづかの笠の下涼ミ     


この両者の関係は、ずいぶん前に訪れた小夜の中山の峠道の石碑に説明があったと記憶する。
 また、『山家集』の「二つありける鷹の、いらごわたりすると申しけるが、一つの鷹はとどまりて木の末にかかりて侍ると申しけるを聞きて」という前書のある歌からは、


  すたか渡るいらごが崎をうたがひてなほきにかくる山帰りかな
       鷹一つ見付てうれしいらご崎    


その他、誓子は次のような例をあげる。


  山ざとに誰を又こはよぶこ鳥ひとりのみこそ住まむと思ふに
       うき我をさびしがらせよかんこどり


  くもりなきかがみの上にゐる塵を目にたててみる世と思はばや
       しら菊の目にたてて見る塵もなし


こうした作品上の関係については、西行の『山家集』と『芭蕉全句集』とを読み比べることを基本として、多くの研究がある。歌と俳句の対比は、かなりの数にのぼる。最近のものとして、目崎徳衛著『芭蕉のうちなる西行角川選書があるらしい。購入せんとインターネットで探したが、残念ながら在庫切れであった。