天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

玉縄・龍寶寺にて

 農家の庭に柿が熟れはじめた。朝の食卓にも
野菜と共に柿の切り実がならぶ。わが国では、
有史以前から栽培されていたらしいが、万葉集
には詠われていない。野生の柿は揚子江流域に
生育したという。


      里古りて柿の木持たぬ家もなし   芭蕉
      柿ぬしや梢はちかきあらし山    去来
      別るるや柿食ひながら坂の上    惟然
      柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    正岡子規
      甲斐駒の貌のぞかせて柿赤し    臼田亜浪
      村見尽して夕晴れの木守柿     広瀬直人


 京都嵯峨野にある去来の庵を落柿舎という。随分前のことになるが、訪れた折に柿の形の土鈴をひとつ買ってきた。そこに紙切れがつけてあって、「落柿舎の記」として去来が名前の由来を書いている。その紙切れにこの去来の句もある。
惟然の句、坂の上で別れたのは、芭蕉だった。


  柿の実のあまきもありぬ柿の実の渋きもありぬ渋きぞうまき
                       正岡子規
  捨てし種芽生えし柿に接木して柿のなるまで住みつきにけり
                       土屋文明


 一番最初に柿を詠んだ和歌を探しているが分からない。室町末期の物語では、猿蟹合戦に柿が登場する。


      太陽の雫なりけり柿を食ふ