天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

醍醐の花見

塔と弁天堂

 久しぶりに京都で旅館に泊まった。部屋にはトイレも浴室もなく共同である。廊下を歩く音や二階の部屋の話し声が一階の部屋に聞こえる。空調機もテレビも古く操作がまともにできない。夫婦だけでやりくりしている様子。女将は若かりし頃祇園の芸妓であったかと思えるほどの顔付でありものごしである。ただ、京言葉は使わない。朝食付一泊七千七百円だが、この設備ではビジネスホテルにかなわないだろう。花見時の週末なので客は十組ほどあったようだ。
 実は出張で京都の長岡京に行った帰りに一泊して醍醐寺を訪れたのである。京都のほとんどの場所にいったつもりだが、醍醐ははじめてである。おどろくほど宅地開発が進み、古都の趣は全くない。


      咲き残る花は醍醐のなごりかな
      花筏弁天堂の影ゆらゆら


  マンションのあまた建ちたる丘陵の奥に鎮もる花の醍醐寺
  うつし身の濁世(ぢよくせ)の穢れ流さむと櫻見に来し朝の
  醍醐寺


  朝早く開門前の醍醐寺五重塔を木の間より撮る
  清しきは朝の挨拶塔頭の門を出で来し作務衣の女
  醍醐寺の朝のトイレに駆け込める女四、五人紙なしを騒ぐ
  ちり果てし櫻の木末(うれ)に頬白のさへずり高き醍醐寺の朝
  龍神を祀れる山ゆ湧き出でてせせらぎなせり醍醐の水は
  醍醐寺五重塔は残りたり伽藍を焼きし失火、戦乱
  撮影はどこも禁止の三宝院矢印に沿ひ書院をめぐる
  醍醐寺は山岳修行の場といへど庭の櫻はなまめきを垂る
  しまらくを書院に座してながめたり豊太閤の作りし庭を
  山水の池に残れる鴨ひとつ三宝院の華麗なる庭
  屏風絵は現代画家の筆といふ枝垂れなまめく醍醐寺の花

  
 醍醐寺は、空海の孫弟子・理源大師が貞観16年(874)に創建した真言宗醍醐派の総本山。応仁の乱五重塔以外は全て焼失、荒廃した。それを後に豊臣秀吉が、醍醐の花見を契機に金堂、三宝院、開山堂、如意輪堂などを再建した。江戸時代を通じて隆盛したが、明治期の神仏分離令で再び打撃を受けた。上醍醐から下醍醐にひろがる広大な境内に古い建造物が少ないのには、こうした背景がある。