天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

江ノ島奥津宮にて

 寺の本殿には仏像があって、僧侶はそれに向ってお経をあげるが、神社の奥には、何故か鏡がおいてあり、宮司はそれに向って祝詞をあげる。仏像を仏の象徴として拝むのは、仏教世界に共通であるが、鏡を神の象徴としておくのは、日本だけなのであろうか? 
 静かな水面に自分の姿も外界も映ることは、人類が初めから知っていたこと。それを石や金属で実現したのが、今の鏡の原型である。現存する金属鏡で最も古いものは、エジプトの第6王朝(紀元前2800年)のものという。金属鏡は、銅を主体とした合金で、現在では銅鏡と呼ばれている。わが国に銅鏡が伝わったのは紀元前後で、中国より持ち込まれた。国産の鏡は3〜4世紀の頃から作られだした。奈良時代になると鏡を作る技術も進歩して、唐製のものに負けないくらいになった。
 ちなみに、ガラス鏡は、天正18年(1549年)にポルトガルの宣教師フランシスコ・ザビエルが贈り物として初めて日本に伝えたいう。日本で初めてガラス製が作られたのは18世紀後半という。神社においてある鏡は、もちろん銅鏡であろう。
 鏡に霊性を付与したのは、鏡が世の中の全てを映す、善も悪も全てお見通しなのだ、という信仰からと思われる。鏡に向って恥じることはないか? ペルーでは、鏡は太陽神の代用とされた。わが国では、天照大神が太陽神と考えれば、鏡が神の代用となるのは、当然である。
 
  住吉(すみのえ)の小集楽(をづめ)に出でて現(うつつ)にも
  己妻(おのづま)すらを鏡と見つも     万葉集・作者未詳


  見えもせむみもせむ人を朝ごとに起きては向ふ鏡ともがな
                       和泉式部
  詩歌とは真夏の鏡、火の額を押し当てて立つ暮るる世界に
                       佐佐木幸綱