天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

蒲郡の藤原俊成

蒲郡にて

 平安時代後期〜鎌倉時代初期の官人・歌人藤原俊忠の子。藤原定家の父。幼い時に父と死別、民部卿顕頼の養子となり名を顕廣といったが54歳の時に俊成と改名。63歳の時に出家し、釋阿と号す。歌の家としての御子左家の位置を確立。後白河院の命により「千載和歌集」を撰集した。歌論書「古来風体抄」で作歌の理念として幽玄の美を説いた。三十二歳(1145年12月)から三十六歳(1149年4月)までの間、三河国司を勤めた。三河湾に面して温暖な蒲郡を好み、当時クスの木などが群生していた荒地の開発を進め、蒲郡の礎を築いたといわれる。竹島遊園には、富永直樹(文化勲章受章者、日本芸術院会員)が製作した藤原俊成卿像が竹島を望んで立っている。


  背広着てうつむきカート引く男ホテルに入りて
  間なく自爆す


  三谷温泉大浴場に身を沈め昨夜見し夢の
  かけら集むる


  わがカバンいづくへ置きしふためきていま来し道を
  さかのぼるなり


  関係者集まりたれど埒あかず顧客の求めつかみ
  そこねて


  おもむろにわが経験をかたる時あたりに見ゆる
  さげすみの色


  思ひ出さむとすればするほどうすれゆく昨夜見し夢の
  はかなかりけり


  浴場の窓より見れば首長き鳥がむれ飛ぶしののめの空


  しののめの空とぶ鳥の五、六羽の首の長きは
  かなしかりけり


  湯上りの体やすめて寝転べば記憶むなしき障子の明かり


  竹島をのぞみて立つは若き日の藤原俊成 三河国