夕、夕暮、宵、黄昏(たそがれ)
「ゆう(夕)」は、「よい(宵)」が転じたもの。なお夕暮や夕方を意味する言葉に、晩があるが、歌にはほとんど使われない。方言や「朝・昼・晩」という熟語に見られる程度。
たそがれ: 薄暗くなった夕方は、人の顔が見分けにくく、「誰だあれは」という
意味で、「誰そ彼」と言ったことから、「たそかれ(たそがれ)」は、
夕暮時を指す言葉になった。
朽網山(くたみやま)夕居る雲の薄れ行かばわれは恋ひむな君が目を欲(ほ)り
万葉集・作者未詳
*朽網山は、大分県西部にある久住(くじゅう)山の古名。歌の意味は、「久住山の
夕べの雲が薄れてゆくと、私は恋しくなるでしょう、あなたに逢いたくて。」
白雲のゆふゐる山ぞなかりける月をむかふるよもの嵐に
新勅撰集・藤原良経
夕暮のまがきは山と見えななむ夜は越えじとやどりとるべく
古今集・遍昭
から衣ひもゆふぐれになる時はかへすがへすぞ人は恋しき
古今集・読人しらず
*衣の縁語として 「紐結ふ」を "日も夕" に掛け、衣をたたむ時に折り返す
ということを、 "返す返す" に掛けている。一首の意味は、「日も傾き夕暮れに
なる時は、繰り返しあの人が恋しい。」
ひぐらしのなく夕暮ぞうかりけるいつもつきせぬ思ひなれども
新古今集・藤原長能
あれわたる秋の庭こそあはれなれまして消えなむ露のゆふぐれ
新古今集・藤原俊成
*意味は、「一面に荒れた秋の庭はまことに身にしみるものであるが、さらに
今しも消えるかと見える露のおく夕暮は。」
暮(よひ)に逢ひて朝面(あしたおも)無(な)み隠(なばり)にか日(け)長く妹が
廬(いほり)せりけむ 万葉集・長皇子
*大宝二年十月から十一月にかけての持統太上天皇の三河行幸に際しての作。
飛鳥の都に留まった長皇子が旅先の妻を思いやって詠んだ歌。隠は三重県名張市。
「夜に情を結び朝は恥ずかしくて顔を隠すといういわれのある名張の地に、何日も
妻は旅の仮廬を結んでいたのだろう。」
わくらばに待ちつる宵もふけにけりさやは契りし山の端の月
新古今集・藤原良経
*わくらばに: 偶然に、まれに。 さやは: 反語を表す。そのように・・か。
「やっと来るというので、たまたま待っていた其の宵も更けて了った。が、やはり
来てくれない。そんな筈ではなかったのに。月はもう山の端に沈みかけている。」
草臥(くたびれ)を母とかたれば肩に乗る子猫もおもき春の宵かも
長塚 節
一声は思ひぞあへぬほととぎすたそがれ時の雲のまよひに
新古今集・八条院高倉
*「ほととぎすが一声鳴いただけでは鳴いたと思えません。しかも夕暮れ時の雲の
どこかで姿も見えずでは。」
ほのかなる夾竹桃の黄昏に白(しら)粥(がゆ)をしぬ我は疲れたり
長塚 節
たそがれの鼻歌よりも薔薇よりも悪事やさしく身に華やぎぬ
斎藤 史