天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

とうふ坂

とうふ坂の芭蕉句碑

 丹沢山塊の端に立つ大山は、古来、信仰の対象であった。麓の参道沿いには、数多くの宿が今でも残っている。バスが開通してから新参道ができたが、旧参道に往時の面影を見ることができる。大山には何度となく登ったが、今回はじめて旧参道をたどってみた。バス停の大山駅からケーブル追分駅横の開山堂まで大山川を二度、三度渡る恰好になる。愛宕瀧、良弁瀧と見て、大山川を渡ると「とうふ坂」がはじまる。バス道の裏手になる。江戸時代、大山に参詣する人々は、掌に豆腐をのせてすすりながら坂を登ったことから、この名前がついたという。


      鈴川に秋を見てをりかすみ橋
      愛宕瀧大山詣のみそぎかな
      おやしろに明鏡ひとつ秋日差
      木漏れ陽のひかり尊し彼岸花
      柿の木の元に柿売る這子坂
      廃屋の庭のコスモス日に揺るる
      カンナ咲く伊勢原火伏不動尊


  一筋の川をはさめる新旧の参道ありて旧のさびしき
  大山の瀧に打たれて開山す良弁僧正六十五歳
  大山の参道脇に立ちならぶ今は昔の先導師宿
  しし鍋や豆腐懐石売る店がそこここにあり大山参道
  手のひらの豆腐すすりて坂のぼる仰げば近き大山の嶺
  さびれたる旧参道のとうふ坂間近にせまる大山の嶺
  道の辺に栗、柿、椎茸ならべたり代金箱が細き口開く


追伸: とうふ坂の途中に、芭蕉の句碑があり、次の句が書かれている。
      花ざかり山は日ごろのあさぼらけ

   確かに『芭蕉全句』に載っている。しかし、この句の山は、
  大山のことではなく、吉野山を指す。句意は、「花ざかりの
  吉野山は、一日中花見客でにぎわうが、さすがに夜明け方は
  日頃のように、静かにのどかである。」 という。
  泊船集(蕉翁句集)が初出。
   江戸時代にせよ、大山が桜の名所であったという話は聞いた
  ことがないので、この句碑が建てられた意図が理解できない。