鎌倉の紅葉
江ノ電の極楽寺駅で下車、極楽寺の門前から中を覗いただけで入るのはやめ、長谷奥の裏山に登って鎌倉の紅葉の状況を遠望してみた。曇っているせいもあり、まだ全山紅葉には遠い。鶴岡八幡宮の大公孫樹の状況はどうかと、由比ヶ浜駅から江ノ電で鎌倉駅に行った。この公孫樹もまだ青葉が多い。唯一、国宝館の周りで紅葉が進んでいる。
山はさけうみはあせなむ世なりとも君にふた心
わがあらめやも
関東大震災で倒壊した二の鳥居の柱の一本に、この源実朝の歌が刻まれて歌碑になっている。
息つめて笹子の姿探しけり
鎌倉の谷戸の山々もみづりて笹子啼くなりそこここの藪
瘤多き常緑の木に栗鼠のゐて尻尾ふりたて底ごもり啼く
今年また同じところに見(まみ)えたり文学館の皇帝ダリア
客引の声はりあぐる人力車小町通りは人の混み合ふ
花も葉も形とどめぬ段葛さくら並木のすがしかりけり
再び日を改めて、鶴岡八幡宮あたりを歩いてみた。今度は晴天で、実朝が暗殺されたというかの大公孫樹の黄葉もみごとであった。
たらちねの母の銀杏の散りにけり
椿ちる頼朝公の奥つ城に
一族の自刃の跡や公孫樹ちる
鳥居から鳥居へ駈けて弓を引く砂やはらかき流鏑馬の道
鴨よりも敏感なればユリカモメ空手(むなで)を振ればとび
立ちにけり
三浦氏の五百餘人が自刃せし法華堂跡にいちやう散り敷く
椿ちる樟の木蔭の石塔は頼朝公の奥つ城といふ
村田清風の句碑あれば
藩主の祖広元公の墓訪ひてむかし語りに尾花むしりぬ
ほそぼそと椰子、松、桜残したり与謝野晶子の泊まりしホテル
[注]実朝暗殺の状況は、「吾妻鏡」に書かれているが、銀杏の蔭から
公暁が現れたとはなっていない。「北條九代記」では、次のように
まことにそっけない。
戌の時、右大臣家八幡宮に拝賀の為参詣するの処、
若宮の別当公暁、形を女の姿に仮り右府を殺す。