天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

稚児ケ淵

江ノ島にて

 江ノ島に稚児ケ淵という断崖がある。今は観光地なので恐ろしくもなんともないが、その昔、忌わしい悲恋の場所であった。自休という建長寺の修行僧が稚児・白菊に懸想してしまい、ストーカーまがいの行為をしたのであろうか、白菊は江ノ島の断崖から身を投げてしまった。その後を修行僧の自休が追って身投げしたという。この場所には、芭蕉と藤沢出身の大正期俳人・永瀬覇天郎の句碑がある。


    疑ふな潮の花も浦の春    芭蕉
    桟橋に波戦へる時雨かな   永瀬覇天郎


芭蕉の句は、「う」の頭韻が特徴。『芭蕉全句』にあたると、元禄二年(1689)三重県の二見浦・夫婦岩での作らしい。それをここにもってきた。句碑にはよくあること。建立は、寛政九年(1797)三月。


    春の海潮目の空にカモメ舞ふ
    春潮やむかし悲恋の稚児ケ淵
    春潮の深く入りくる山ふたつ
    恋猫の孕みて後のごろ寝かな


  鵜の群の去りし磯辺のユリカモメ春の潮に浮きてまぶしき
  白菊の後を慕ひて身を投げし僧の断崖稚児ケ淵といふ