天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鎌倉探訪―刑場跡

六地蔵交差点にて

幕府が置かれた鎌倉には、処刑場もいくつかあった。ただ有名な政治犯が一人だけ処刑された場所もあり、常時使用された公認の場所かどうかは定かでない。鎌倉幕府討幕を企てた罪で日野俊基が斬首された葛原岡(葛原岡神社の境内)、日蓮が連れてゆかれた龍ノ口刑場(龍口寺内に石碑が建てられているが、実際の場所は不明)、地獄ケ谷(建長寺境内の回春院あたりか心字池のあたり)、六地蔵交差点(由比ヶ浜1丁目付近) などである。
六地蔵交差点には、江戸時代に置かれた芭蕉の句碑「夏草やつはものともが夢の跡」があるが、風化して読めない。
なお土牢のある鎌倉宮明治天皇命名)の境内には、護良親王が幽閉の末に足利直義に殺害され、首を捨てられた場所(御首塚とも御構廟とも)も刑場跡としてよいであろう。護良親王の首を葬ったのが理智光寺の住職だった。護良親王の墓は、その理智光寺跡の谷にあり、宮内庁が管理している。


  刑場の跡に地蔵を祀れるは鎌倉の世の習ひなるべし
  そのかみの刑場なりし塔の辻供養塔あり六地蔵立つ
  人死にし場所におかれし地蔵尊 刑死、殺人、はた行き倒れ


  朝廷に政治もどすと戦ひし日野俊基はここに斬られし
  俊基の首を落とせし場所といふ竹囲ひせる供養塔あり
  俊基の功をたたへて建てられし威厳ある墓刑場近く
  望ましき体制もとめ闘ふは今も昔も変らざりけり


  日蓮を斬殺せむとふりあげし刀にひらめく一ついなづま


  親王が首落とされし場所といふ大塔宮の裏の首塚
  親王の功をしのべる鎌倉宮明治天皇の御下命になる