箱根駅伝
始まりについて、箱根駅伝公式Webサイト から引用する。
1917年(大正6)に日本で初めての駅伝となる「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」が、京都三条大橋と東京・上野不忍池間で行われた。読売新聞社が上野で開く大博覧会の協賛イベントとして企画したもので、京都―東京516キロを23区間に分け、三日間、昼夜兼行で走り継ぐ壮大なたすきリレーだった。東西対抗で行われたレースは、大成功を収め、これが箱根駅伝の原型となった。箱根駅伝が誕生したのは、1920年(大正9)のことである。第1回大会では、早大、慶大、明大、東京高師(現筑波大)の四校が参加した。今回で、87回目となる。
東海道駅伝文化をスポーツに土岐善麿と金栗四三
駅伝をオリンピックにつなげむと襷を渡す走者十人
近づけば思ひのほかに小柄なる駅伝走者に汗ひかる見ゆ
壁として立ちふさがれる権太坂牛蒡抜きするランナーのあり
玉くしげ箱根の険をかけゆけり「山の神」とふ駅伝走者
百メートルを十四秒で駈けくだる箱根の坂の空恐ろしき
応援につき出す旗をあやぶめり先駆けゆける二台シロバイ
シード権を得むと十位をあらそへる一団ありて汗を散らせる
壁として二十秒の差縮まざり涙をのみし東洋大学
二十分を越えて遅れし日大は襷渡せず倒れこみたり
とびあがり涙ながして抱き合へり選手に交る女子マネージャー