天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

汽車

明治初期の汽車

 BS―TBS「ふるさと うたの細道」の「鉄道唱歌」編を見た。映像は鎌倉が中心に紹介されていた。よく知られた一番と鎌倉を詠んだ六から九番の歌詞を以下に引用しよう。


一  汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり
   愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として
六  横須賀ゆきは乗替と 呼ばれておるる大船の
   つぎは鎌倉鶴が岡 源氏の古跡や尋ね見ん
七  八幡宮の石段に 立てる一木の大鴨脚樹(おおいちょう)
   別当公暁のかくれしと 歴史にあるは此陰よ
八  ここに開きし頼朝が 幕府のあとは何(いづ)かたぞ
   松風さむく日は暮れて こたへぬ石碑は苔あをし
九  北は円覚建長寺 南は大仏星月夜
   片瀬腰越江の島も ただ半日の道ぞかし
 

この歌の作詞者は、国文学者の大和田建樹(たけき)で、日本中をめぐる地理教育の歌として作詩された。作曲者は、上 真行と多 梅稚のふたりいたが、多 梅稚の曲が普及した。明治32年(1899)に発表された。後に追加されたものを含めて全5集、334番からなる唱歌である。
ちなみに横浜に向けてわが国最初の蒸気機関車が新橋を出発したのは、明治5年(1872年)10月14日午前10時であった。


  汽車の音の走り過ぎたる垣の外の萌ゆる木末に煙うづまく
                      正岡子規
  何となく汽車に乗りたく思ひしのみ汽車を下りしにゆく
  ところなし               石川啄木


  網走の海こえて山の雪見ゆる汽車にねむりて眼をさましたり
                      五味保義


[注]右上の画像は、「日本の鉄道開業」http://ja.wikipedia.org/wiki/ から引用した。