現代俳句の笑いー本歌取り・パロディ
俳句の背景として取り入れる原作品の種類により、本歌取り(和歌・短歌・唱歌)、本句取り(俳句)、本説取り(物語・小説・謡曲)などがある。
わすれては夢かとぞ思ふ真桑瓜
*本歌: 「忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪踏み分けて
君を見むとは」 在原業平
潜航艇青葉茂れる夕まぐれ
*本歌: 「青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ」
唱歌「桜井の訣別」の一番
如月の望月の頃の目張かな
*本歌: 「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの
望月のころ」 西行
葛桜男心を人問はば
*本歌: 「敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ
山ざくら花」 本居宣長
水枕とろりとあをき流れ星
*本句: 「水枕ガバリと寒い海がある」 西東三鬼
零余子散るいざ鎌倉の切通し
*本説: 謡曲『鉢木』で旅僧(北條時頼)に語った覚悟の言葉から。
海鼠あり故にわれありかぼすもある
*本説: 「我思う、故に我在り」 デカルト
以上は川崎展宏の俳句の場合であるが、実は松尾芭蕉もこの方法を多用した。特に謡曲を踏んだ作品が目立つ。(ここでは芭蕉の例は省略する。)
広く知られている既成の作品を、その特徴を巧みにとらえて、滑稽化・風刺化の目的で作り変えたものを特にパロディと呼んでいる。上の本居宣長の本歌取りや西東三鬼の本句取りなどは、パロディでもあろう。
こうした作り方は、故人への挨拶句として提示されることが多い。
一休み浄土に花を鋤きこんで 川崎展宏
これは
残生や一日は花を鋤きこんで 飴山 寛
の本句取りであり、生前に「休んでは菜園を耕す」と話していた飴山 寛への挨拶である。