天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

小夜の中山・再訪

小夜の中山にて

 小夜の中山を初めて訪れたのは十一年前の五月であった。JR金谷駅からタクシーに乗って、久延寺まで行き、あとは日坂まで旧東海道を茶畑沿いに歌碑・句碑を見ながら歩いた記憶がある。どういうわけだか、西行歌の「小夜の中山」の場所を、近代になって初めて特定したのは、佐佐木信綱であり、その碑が立っていると思い込んでしまった。先日の短歌人・ネット歌会の地名を詠む題詠で、そんな歌を提出して好評を博した。WEBで確認したところ、そのような事実は見当らない。それで今回、西行終焉の地である河内の弘川寺を訪ねることをかねて、あらためて出かけた次第。
 西行の「年たけて」の歌碑は、設計が建築家の故・吉阪隆正教授、揮毫が歌人の故・窪田章一郎教授である。佐佐木信綱の碑はついに見つからなかった。短歌人・ネット歌会のみなさまには、訂正してお詫び申し上げる。
 前回は、さほど不便なところとは感じなかったのだが、今回は掛川方面から自動車で往復したせいか、また人も車もほとんど見かけなかったせいか、とんでもない山中のように感じられた。


     久延寺梅雨の晴れ間の夜泣石
     足引きの小夜の中山茶摘み時


  わが記憶あいまいなるを正さむと年たけて訪ふ
  小夜の中山


  年たけてまた訪ひにけり濃みどりの茶畑つづく
  小夜の中山


  青かすむ山の奥処に西行の歌に名高き小夜の中山
  西行がたどりし道の両側に茶畑を見る小夜の中山
  茶屋跡に自動車停めて久延寺の境内に入る夜泣石あり
  雨よけの屋根の下なる夜泣石腰引けて見るわが孫娘
  薪背負ひ本を読みゐる石像の謂れを説きぬをさなき孫に
  古びたる小さき印塔置かれたり円墳らしき土盛の上
  大いなる蚯蚓が出づと大声に男指差す小夜の中山
  信綱の歌碑なき小夜の中山に顔青ざむるわが記憶ミス
  西行を偲べる人の今もあらば共に越えなむ小夜の中山
  マッキンレー雪崩に遭ひし日本人四名の捜索うち
  切られたり


  雲厚く富士を隠せる梅雨空に製紙工場の煙たなびく