天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

梅雨雑詠(5)

常楽寺山門にて

 鎌倉市大船5丁目8−29にある常楽寺を訪ねた。もと粟船御堂(あわふねみどう)と呼ばれ、北条泰時夫人の母の追善供養のために建てたられ、創建当時は密教系寺院だった。建長年間、時の執権北条時頼によって宋の禅僧、蘭渓道隆が鎌倉に招かれ際に、蘭渓ははじめ常楽寺の住持となり中国風の禅宗を広めた。以来、臨済宗の禅寺になった。
裏山の中腹あたりに、木曽義高の墓と伝えられる塚がある。義高は木曽義仲の長男で、十一歳の時、鎌倉に人質まがいに連れてこられ、源頼朝の長女・大姫6歳と婚約させられた。その後、義仲は、頼朝の軍勢に攻められて敗死してしまう。頼朝は禍根を断つべく、義高をも殺してしまう。幼いながら義高を深く愛していた大姫は、その後持ち込まれる縁談を全て断り、傷心のうちに二十歳で死去した。無惨な悲恋の物語である。
 なお以下の句や歌はあちこち散歩の途次、折りに触れて詠んだもの。


     ジャグラーの演技涼しき木陰かな
     大姫の涙の梅雨か常楽寺
     擬宝珠の蜂飛び立ちて揺れにけり


  断崖の谷吹きあぐる潮風に翼ひろげて鳶は浮かべり
  繋留のプレジャーボート水上に舳先を向けて並ぶ鵠沼
  予言せし「神の粒子」の発見に立ち会ひし人ピーター・
  ヒッグス


  擬宝珠の花叢なかに一筋がゆらり揺れたり蜂飛び
  立ちて


  義高の墓と伝ふる石組が粟船山の中腹にあり
  わが国をとほく離れし外つ国のベースボールに親しむ
  あはれ


  キャッチャーの捕球の姿勢いくとほり見せものとせし
  ブルワーズの捕手


  ダルビッシュ最後の一人に選ばれしオールスターに
  和名はあらず