天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

井戸

鎌倉・妙本寺にて

 地下水を得るために地中に掘られた穴。構造上から、開井と管井とがある。前者は直径が0.9m以上、深さは10m以内で人が自由に出入りできるもの。後者は、直径が0.6m以下で側面は竹、木、鉄などからなる。施工法からは、堀井(開井)、打込井、錐もみ井、鑿井などがある。
わが田舎の井戸では、夏になると西瓜を冷やしていたことを覚えている。またいたずらに、釣って来た小魚を井戸に放したこともあり、時々覗きこんでは、大きくなったかなと思ったりした。


  古き井戸に一匹の鯉棲むと言へど見しことはなしその
  酷(むご)き緋を          真鍋美恵子


  誰も帰つてこないふるさとあの井戸に水瓜冷やしてありしは
   何時(いつ)か           斎藤 史


  墓よりもふかく地底につながりて垂直に降(くだ)る野の
  井戸ひとつ             斎藤 史


  井戸端の砧の上にほんのりと雪がたまって止んでいた
                    山崎方代
  青空の井戸よわが汲む夕あかり行く方を思へただ思へとや
                   山中智恵子
  井戸涸れてなほ星映すうつの日か父を男の他に連ねし
                    塚本邦雄
  汲みあげる真昼の井戸の滑車鳴り道行くわれの夏の紅
                    前登志夫
  井戸の底のぞくこどもに見えてゐるあをぞらの中暗き顔ある
                    高田流子
  井戸ひとつ林の中に忘れられ春夏秋冬ばかりが積もる
                    三枝昂之


 右上の画像は、鎌倉妙本寺・蛇苦止堂にある井戸で、蛇苦止ノ井と呼ばれている。比企の乱において、北条義時らに攻められた比企一族のうち、能員の娘で二代将軍源頼家の側室であった若狭局は、家宝を抱えてこの井戸に飛び込み自害したと伝えられる。「蛇苦止」という呼称の由来は『吾妻鏡』文応元年十一月の条に出ている。