子規を詠む(2)
子規は文章の革新にも意欲を示した。すなわち写生文の提唱である。
「ことばを飾らず大げさな表現を加えず、ただありのまま見たままに事物を模写することが、おもしろい文章を作る方法である。」
「感動の中心点をとらえ、写生するものとしないものを選ぶこと、言文一致かそれに近い文体を用いること。」
根岸の子規庵では、句会、歌会と同様に「山会」という文章の批評会が開かれた。各自が文章を持ち寄って批評し合うのである。子規の考え方をくんで成功した小説家として、長塚節、伊藤左千夫、夏目漱石などが有名。漱石の出発点は、子規が始めた俳句誌「ホトトギス」に、「吾輩は猫である」を連載し大好評を得たところにあった。
三十五で果つれば子規は翁(をう)たらずされど翁たる
貌を記憶す 今野寿美
あるときは牛乳五勺ココア入菓子パン数個 子規の
咳かな 加藤治郎
遠き人子規とおもふに夢に逢ふわが深層の何の思ひか
扇畑忠雄
青年子規・青年漱石 ゆふぐれの大河に入るを見しごとし
草として 水原紫苑
正岡子規その文学の核にふる明治の雪のほのあかりせり
伊吹 純
息あへぐ子規に書く気をおこさしし土佐半紙ありて
「仰臥漫録」 楠瀬兵五郎
右上の画像は、十五世鴫立庵主の原昔人が作った子規のレリーフで、鴫立庵に展示されている。原昔人は俳号で本名を原安民という。明治3年10月生まれ。鋳金のかたわら,明治38年から雑誌「日本美術」を刊行。昭和2年郷里神奈川県大磯の鴫立庵の15代庵主となった。その句碑には次のように書かれている。
俯つむいて沢の音きく時雨かな 昔人
原昔人は正岡子規と親しく短歌も詠んだようだ。