天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―俳句篇(36)―

狩野探幽画(部分)

     西行の顔も見えけり富士の山  子規


 これは正岡子規が作って夏目漱石に自慢した句であった。これに対して漱石明治23年7月20日付で、次の名吟を得た、但し他言しないこと、随筆などにも載せないでくれと子規に手紙を出している。その句とは


     西行も笠ぬいで見る富士の山  漱石


子規はこの句を、明治23年8月15日に漱石に出した手紙において、「意味合も変り富士を尊とむの事となる故一段の光栄あるべし」と褒めている。この時期、二人は帝国大学文科大学(現在の東京大学文学部)に入学している。
 ところで句の背景は、古くからよく知られた日本画の画題の一つ「富士見西行」なのである。そしてその根本に次の西行の名歌がある。


  風になびく富士の煙の空にきえて 行方も知らぬ
  我が思ひかな


この画題は、笠・旅包みなどをわきに置いて富士山を眺める西行の後ろ姿を描く。子規や漱石が俳句の材料としてこうした日本画も取り入れたことがよく分る。ちなみに漱石漢詩文、戦記もの、謡曲、講談などの内容から多くの俳句を詠んだ。子規が蕪村の句を分類したカテゴリの中の「理想的美」に属する作品である。子規は写生論を展開するのだが、『俳諧大要』において、次のように述べる。
  「俳句をものにするには空想に倚ると写実に倚るとの二種あり。
   初学の人概ね空想に倚るを常とす。空想尽くる時は写実に倚ら
   ざるべからず。」
つまり空想を否定しているわけではないのだ。子規は写生を重んじたのだが、作品にリアリティと説得力あればそれで良しとしたのであろう。このあたりの論考はすでに数多くなされているので、この辺で止めておく。