天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

金子薫園

鎌倉・高徳院にて

 鎌倉高徳院の山門を入って左手奥に薫園の歌碑がある。次の歌が書かれている。


  寺々のかねのさやけく鳴りひびきかまくら山に秋かぜのみつ


1932年に建立されたもの。金子薫園は、明治9年に東京神田に生れた。明治26年落合直文のあさ香社に入門し、温雅な詠風を継承した。歌集『かたわれ月』(明治34年)で清新な抒情を見せた。明治35年に尾上柴舟と反《明星》を意図して「叙景詩」を刊行,翌年には白菊会を結成した。


  鳳仙花照らすゆふ日におのづからその実のわれて秋くれむとす
  鳥のかげ窓にうつろふ小春日を木の実こぼるるおとしづかなり
  天(あめ)の母の足(た)らし乳(ち)なしてくれなゐの薔薇の
  わか芽に春雨のふる


  風ぐるまめぐる遠野に臥す牛のうへに水みるおらんだの春
  しづやかに梢わたれる風の音をききつつ冷えし乳を啜(すす)りぬ
  青島陥落に市街(まち)のどよむ日をひとりしづかに郊外にあり
  やがてまたいでゆく兵の赤帽のいくつもぬれてつづく春雨
  ここにしてわが晩年の春秋をおくると思ひ仰ぐ夕ぞら


 歌集十二冊の外、短歌の啓蒙書を多数著して、昭和26年に死去。