天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

歌集『蜜蜂の箱』(2/3)

小池光のカバー書き

 一首の巧みさを感じさせる技法のひとつに副詞(句)の使い方がある。佐々木さんが師事している小池光さんが名手なのだが、佐々木さんの例をあげよう。
  「火星人」答案用紙に名をしるす少年の耳あたかも尖る
  ひるのガレージ密やかにしてそれはもうふはふはの猫
  入りゆきたり


  はからずも見てしまひたり「剣闘士(グラディエーター)」
  死ぬとき夫が涙ぬぐふを


  さみどりのほんによく鳴る草の笛わすれ草とは知らずふふみき


 この歌集を読んでいて感じるのは、不思議や謎の感覚である。それが歌集を詩情豊かにしている要因ともなっている。歌集の一大特徴といってよい。この感覚は、日常の情景の一部だけを切り出したり、意外なものを組み合わせたり、さら省略したりすることで生れる。
  電柱のひとつひとつに番地あり逆光をいまのぼりゆく人
  炎天にわが曳く犬をいたはりぬ電信柱をおり来し男
  空はただひろびろとして鳶のかく円をみてをりどんぶりの底
  雪の日のかなしきまでに赤き鰭 地下水脈をききつつ揺らぐ
  いまはもうときはなたれて万の葉のひるがへる野をのぼり
  ゆくらむ


  「この先は」「荒川だらう」暗闇にむかはむとする夫をひきとむ
  緋の魚はうすき氷にすきとほりいまだ告げざる言葉みじろぐ
  長瀞(ながとろ)をひとひめぐりしゆふぐれに娘の拾ひたる木の
  葉の化石


  草原の麦わら帽子の絵手紙をながめゐし母「捨てられてる」