天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

和田塚

鎌倉・和田塚にて

 NHKスペシャル司馬遼太郎の「この国のかたち」特集を見た。その第二編で鎌倉幕府の話が出た際、和田塚が紹介された。鎌倉の史跡については、大方訪ねて知っているつもりであったが、うかつにも和田塚はまだ見ていなかった。それであわてて出向いた次第。
 功臣であった和田一族が、北条義時に謀反を企て全滅したいわゆる和田合戦における戦死者を葬った場所が和田塚である。明治末期にこの近くに新道をつくろうと工事した時、夥しい死骸が出て来た。それで「和田一族戦没地」の碑を建立した。今でもこのあたりから骨片が見つかるという。テレビでは、ナビゲータの香川照之が木の根方から骨片を拾う場面があったが、演出(やらせ)であろう。碑が立てられた際やその後の数十年間に墓参りした人々によって整備されたはずであり、現に私も地面に目を凝らして捜したが、木片はあれど骨らしきものは見つからなかった。


     和田塚の大樹をゆらす春一番


  新しき道路通すと掘り起こす土よりあまたもののふの骨
  そのかみの古墳なりける和田塚は道に削られ狭まりにけり
  刀創の無惨なりける頭骸骨あまた出土す和田塚あたり
  波あらふ由比ガ浜には時折に現るるといふもののふの骨
  風化せる丸石あまた寄せ集め和田一族の墓の碑が立つ
  大木の根のあらはなる黒土に木片ありて骨と見紛ふ
  いつの世の石仏なるか頬欠けて法蓮華経の碑の傍らに立つ
  テレビにて香川照之が手にとりし骨片といふを今に疑ふ
  骨片とするにはかろき木片を手にとりながむ和田塚の春