天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鎌倉探訪―稲村ケ崎

稲村ケ崎のコッホ記念碑

稲村ケ崎は歴史上、新田義貞の鎌倉攻めで有名である。広場には、明治天皇の御製「新田義貞」の碑が立っている。
  投げ入れし剣の光あらわれて千尋の海もくがとなりぬる
また海側には「真白き富士の嶺(七里ヶ浜の哀歌)」で知られる開成中学ボート遭難の像があり、丘の上にはロベルト・コッホの記念碑が鎮まる。この碑は、北里柴三郎が「霊山園」にコッホを案内した際に建てられたもので、当初の場所から現在地に移された。
さらに稲村ケ崎から離れた七里ヶ浜のかたはらに、哲学者・西田幾多郎の歌碑があり、次の歌が書かれている。
  七里濱夕日漂ふ波の上に伊豆の山々果ししらずも
西田幾多郎は晩年、稲村ヶ崎の姥ヶ谷 に住んでいた。


  鎌倉の見越しの崎に金色の太刀を奉げし新田義貞
  鎌倉の見越しの崎の岩崩(いはくえ)に場所移されし
  コッホ記念碑


  岸壁に波打ち寄せてしぶき立つ稲村ケ崎に春陽かげらふ
  マテバシイ、モチノキ、サンゴジュ、クロマツ等名札
  下げたり稲村ケ崎


  荒海に十二人の子ら乗せてボート沈みぬ白き富士の根
  弟をかばひて何を叫びしか兄の右手は天を指したり
  江ノ島のかなたの富士に手を振りて助け求めし兄にあらずや
  すめろぎが明治の御代に詠みたまふ稲村ケ崎新田義貞
  義貞の十一名のもののふが自刃せしとふ稲村ケ崎
  絶景と稲村ケ崎を讃へにしコッホ博士の記念碑はあり
  歴史など話題にもせず騒がしき中学生らの稲村ケ崎
  晩年は七里ガ浜を歩きける西田幾多郎哲学の道