藤原定家は鎌倉幕府の源実朝と和歌を通じて懇意になることで、身代の安寧を図ろうとしていた。天皇・上皇側と幕府側の勢力バランスを見て行動していた。
実朝に万葉集を贈りては荘園安堵を要請したり
力ある武家の娘を為家の嫁にもらひて盤石を期す
「道のべの野原の柳」上皇の怒りをかひて謹慎の沙汰
手薄なる軍備と知らず東国に義時追捕の宣旨は下る
もののふを幕府にあつめ上皇の理不尽を説く北條政子
歌道をば家道となさむはからひの子孫にのこす書写の数々
順徳帝の佐渡へ配流を見送らずお家大事は為家もまた
病みがちといへどはろばろ出かけたり京を離れて
有馬出湯に