天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

定家卿を訪ふ(6/7)

厭離庵にて

 定家が百人一首を選んだという小倉山荘「時雨亭」の跡には三カ所の候補地(厭離庵二尊院、常寂光寺)がある。後世に小倉百人一首があまりに有名になったために、複数の伝説が現れたのであろう。三カ所を訪ねてみたが、二尊院や常寂光寺の場合、裏山の小高いところにあり見晴らしは素晴らしいが、老齢になっては往き来がきついと感じられた。定家が百首の選歌をしたのは、彼が七十代半ばとされており、その点厭離庵は平地にあり閑静でもある。



  仮名書きの序文に齢(よはひ)、地位も入れ名付けて
  新勅撰和歌集となす


  和歌を選る家のとなりに群盗の剣槍ぎらり月光に耀(て)る
  長命の先祖四十六名を書きならべたり長寿の定家
  それぞれが二十七人の子をなしぬ父・俊成と息子の定家
  『明月記』終りて後の小倉山別荘に選る百人一首
  三か所が候補地といふ「時雨亭」百人一首を選びしところ
  時雨亭跡とも伝ふ厭離庵定家塚とふ五輪塔あり
  縁結びを願ふ女があまた来る黒き鳥居の野宮(ののみや)神社