わが歌枕―武蔵野(3/3)
徳川家康が江戸に幕府を開いてからは、人口の急増を見込んで、近郊各地の新田開発が旺盛に進められた。玉川上水や野火止用水が開削され、武蔵野台地上でも農業が可能になった。 こうした開拓によって原野は次第に少なくなり、代わって田畑、屋敷林、街道防風林、雑木林など、今日通称される「武蔵野の自然」が出来あがっていった。
ゆく方に身をばさそはで夜な夜なの袖の露とふ武蔵野の月
中院通村
武蔵野を人は広しとふ吾は唯尾花分け過ぐる通とし思ひき
田安宗武
紫のめもはるばるといづる日に霞いろこき武蔵野の原
賀茂真淵
たえだえに花の千草はあらはれて夕霧なびく武蔵野の原
武田耕雲
天雲(あまぐも)のはるるまにまに武蔵野はみながら雪に
成りにけるかも 河津美樹
暮れて洗ふ大根(おほね)の白さ土低く武蔵野の闇は
ひろがりて居り 島木赤彦
武蔵野原枯れゆくころは町中の庭に小禽(ことり)の来て
鳴きにけり 島木赤彦
武蔵野の霜どけみちをふみなづみたづねて来れば山葵田
(わさびだ)のあり 岡 麓
君が行く天路(てんろ)に入らぬものなれば長きかひなし
武蔵野の路 与謝野晶子
すめろぎの願ひを思ふ武蔵野の原に残れる国分寺跡
『武蔵野』を書きし独歩の霊園の墓は無縁の墳墓となりぬ