天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

寒山拾得

寒山拾得の石碑(建長寺にて)

 毎年11月の勤労感謝の日に近くなると、建長寺から時頼句会開催の案内状が届く。だが、ここ二年ほどは御無沙汰しているので建長寺に伺うことも無かった。それで今年は松の内に尋ねた。半僧坊にも登ろうと向かったのだが、途中に寒山拾得と「楓橋夜泊」の二つの石碑があり、それらに拘っているうちに登り損ねた。
 高校の漢文の授業で習った「楓橋夜泊」は、唐代の詩人・張継が詠んだ七言絶句である。読み下し文を次にあげる。暗誦できる人もいるだろう。


  月落ち烏啼いて霜天に満つ
  江楓漁火愁眠に対す
  姑蘇城外の寒山
  夜半の鐘声客船に到る


 寒山拾得は唐の伝説上の2人の詩僧である。天台山国清寺の豊干禅師の弟子で、拾得は豊干に拾い養われたので拾得と称した。寒山は国清寺近くの寒山の洞窟に住み,そのため寒山と称したという。中国江蘇省蘇州市姑蘇区にある寒山寺に、「楓橋夜泊」の石碑がある。
 建長寺で感慨深いものに、開山の蘭渓道隆が種子を宋から持参して植えたと伝える柏槇(びやくしん)の古大木がある。見た目には丈夫そうだが、かなり弱っているらしい。760年以上が経っている。


     いしぶみ寒山拾得梅の花
     あらたまの祈祷の鐘や半僧坊


  開山の蘭渓道隆がもたらしし柏槇の種子この大木に
  山上の半僧坊へのぼらむと鳥居をふたつ潜りてゆけり
  山上の半僧坊に初春の祈祷の声の高からかなりき


 余談だが、建長寺と言えば漱石の俳句「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」があり、これを見せられた子規は「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」と作り直した。これが子規の代表句になってしまった。言うまでもなく漱石の句は平凡で、子規の方が詩情豊かである。