日の斑(ふ)
鎌倉アルプス(なんと大げさな!)を縦走してきた。明月院の裏山から入って建長寺半僧坊上の勝上嶽、十王岩、鷲峰山、大平山、天園、天台山、胡桃山 など尾根道を歩いて、明王院へと下りた。山道や木立には、秋の朝日の木漏れ陽が斑点になって落ちていた。この斑点を「日の斑(ふ)」と名付ける。広辞苑、講談社・日本語大事典、角川・新国語辞典などには出ていないので、私の造語になるか。この言葉を俳句や短歌に活かしてみたい。
笹鳴の日の斑つらなる山路かな
松籟や落葉の日の斑ゆれやまず
干柿のつらなる影の障子かな
尾根道を駈けくる人の煩はし日の斑かなしむ我ならなくに
間伐を終へたる杉の林なれ秋の朝日のまだら清しき
実は、「日の斑」を使った俳句は、去年から試みている。伊丹三樹彦選で評価されたので勇気付けられた。
里山の日の斑にひろふ木の実かな
[評]里山といい、日の斑といい、言葉選びに秀れている。
そこに落ちているのは木の実だ。昔の人の暮しをも偲ば
せてくれるではないか。日の斑は、日の影をも意味する。
伊丹三樹彦