観音(3/3)
以下にあげる作品はみな作者固有の感覚と思われ、読者にはどこまで共感できるか疑問。
水原: 百済びとが唐突。百済観音とどう関係しているのか。
大滝: 魚を選別している自分の手から観音の指の反りを連想
したようだが。
清水: 観世音とマリアとを一体視したようだが、仏教にせよ
キリスト教にせよ、元々同一の信仰から発したもの、
ということか。
桑山: 観音の笑みに永遠の母を思っているようだ。
立石: 手首を失った観音の無い掌に支えている空虚を想像したか。
「くわんおんはわれのごとくにうるはし」と夢に告げ
来し百済びとあはれ 水原紫苑
観音の指(おゆび)の反りとひびき合いはるか東に魚
選(え)るわれは 大滝和子
この観世音も或いはマリア様か知れず長き敬虔のうちに
包まれて 清水房雄
常(とは)に微笑(ゑ)む観音は母 若き日の母またさらに
その母のゑみ 桑山則子
差しのべし手くびおとしてささえいる観音の掌に在る
重き空っぽ 立石和正