天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

漱石の俳句作法(7/8)

オリオン・ブックス

蕪村との類似性
ところで俳句における漱石と蕪村との類似性を詳しく分析したのは、森本哲郎が最初であった。中でも現代なら剽窃だとされかねない多くの類似句をあげているが、以下のような例がある。
     二人してむすべば濁る清水哉          蕪村
     二人して片足宛(づつ)の清水かな        漱石
     菊作り汝は菊の奴(やつこ)かな         蕪村
     菊作る奴(やつこ)がわざの接木(つぎき)哉    漱石
     名のれ名のれ雨しのはらのほととぎす      蕪村
     時鳥名乗れ彼山此峠(かのやまこのとうげ)    漱石
     若竹や夕日の嵯峨と成にけり          蕪村
     若竹の夕に入て動きけり            漱石
     雪解や妹(いも)が炬燵に足袋(たび)片(かた)し  蕪村
     靴足袋(たび)のあみかけてある火鉢かな     漱石
しかしこうした結果は漱石や子規が忌み嫌う事態ではなかった。単に俳句に精進する過程で生じた謂わば必然でもあった。子規は『俳人蕪村』を書いて、蕪村俳句の特徴と素晴らしさを説いた。子規に俳句の教えを乞うた漱石は、俳句修業において当然のように蕪村を手本にした。子規自身も蕪村の類似句を作っている。
俳人蕪村』において、子規は蕪村句を詳細に分析していたので、森本が指摘するような漱石の類似句には当然気付いていたはずである。だが子規は漱石の句稿を添削する際に、そうした指摘は一切せず、良いと思う句には○や◎を付けている。
俳句的小説へ
 漱石の言う俳句的小説とは、漱石の俳句観に基づく筋立て・情景描写(自分自身を含め全てを客観視する)であり、俳句を文章にしたような小説。俳句的な叙景文。俳句を鑑賞しているような小説。漱石自身の言葉では「自然を写す文章」である。
 漱石は国内外に照らして新しい小説を開拓するに当たって、俳句のセンス(笑い、ユーモア、侘び・寂、憐れ、運座の関係)を取り入れようとした。その実作が『草枕』であった。漱石の自解によれば「美を生命とする俳句的小説」を試みたのである。
草枕』の文章は、大変歯切れが良い。散文ながら漢語、漢詩文の読み下しや俳句の片々をちりばめ、また時に和歌や長唄の一節を引用する。芸術論、文明論、人生観なども展開されているが、七音五音の息継ぎを交えて書かれているので、文章にリズム感が出て読み易い。そして日本人の韻律に馴染んでいるので読んでいて心地よい。漢詩や俳句には漱石自作のものを含む。
草枕』のラストシーンは、子規が俳句で分類した「人事的美」に対応して読者を感動させる。
 ところで漱石が俳句的小説を構想する契機になったのは、蕪村の『春風馬堤曲』であろう。これは十数首の俳句と数聯の漢詩と、その中間をつなぐ連句とで構成されてる。こういう形式は全く珍しく、蕪村の独創になるものである。(萩原朔太郎『郷愁の詩人 与謝蕪村』)