花火のうた(2/4)
東京では、江戸時代から隅田川の花火大会が有名。この大会は、大飢饉とコレラの流行によって、江戸で多くの死者が出た享保17年(1732年)、8代将軍・徳川吉宗が隅田川河畔で催した「川施餓鬼」に遡る。なお両国川開きの花火もよく知られており、広重の「名所江戸百景」にも描かれている。
尾根隔て花火の音を聞くごとき生きざまをして世にうとくゐる
太田青丘
魂は売らずといへば夜の空に遠き花火がひしひしと顕つ
三國玲子
全身に傷ちりばめて雉落ちぬ花火のごとき散弾のなか
斎藤 史
曇天に花火上がれり月島の岸田屋の肉豆腐食いたし
田中 槐
酒飲んで点れる君か花火の火しづかにもらふやうに言葉も
大口玲子
旅のはて夜汽車入りゆく町なみにあがる花火のゆくりなきかも
水本協一
三國玲子は63歳で自殺した。鬱病で入院していた病院での飛び降り自殺であった。「魂は売らず」というのは、どのような事情があったのか。斎藤 史の歌は、無惨を通りこして絢爛豪華な雉の死に様にしている。