天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

短歌に詠む人名(5/7)

短歌新聞社

正岡子規の短歌革新に続く流れで特筆すべきは、異国情緒、西欧趣味の摂取である。北原白秋は、大正二年一月刊行の第一歌集『桐の花』で、西欧情緒を短歌に取り入れることに成功している。西欧の人名が入っている歌に、次の四首がある。
 南風モウパッサンがをみな子のふくら脛(はぎ) 吹く
 よき愁(うれひ)吹く

 そぞろあるき煙草くゆらすつかのまも哀しからずやわかきラムボオ
 クリスチナ・ロセチが頭巾かぶせまし秋のはじめの母の横顔
 みじめなるエレン夫人が職業(なりはひ)のミシンの針にしみる雨かな


なお、夫・鉄幹の後を追って大正元年五月から四カ月間、巴里、ウイーン、ベルリン、ロンドンなどに遊んだ与謝野晶子にも、その折のわずかな歌がある。
 月さしぬロアルの河の水上(みなかみ)の夫人(マダム)ピニヨレが
 石の山荘

 うるはしきアンリイ四世の踊場にふたり三人(みたり)の低き靴音


西洋人の個人名をふんだんに短歌に詠んだのは、独逸に留学した時の斎藤茂吉であった。二冊の歌集、『遠遊』(大正11年〜同12年作、昭和22刊行)と『遍歴』(大正12年〜同14年作、昭和23刊行)を見ればあきらかである。科学、思想、政治、美術、音楽、文芸など幅広い分野に及ぶ有名無名の人物が登場する。ただ、面白いことにというか、写生主義を標榜する茂吉にしてみれば当然と言えるが、留学から帰国した後の歌集では、西洋の個人名はほんの数名までに激減する。
第二次世界大戦後の現代短歌で、茂吉以上に幅広い分野で多くの人物名を詠んだのは、前衛歌人塚本邦雄であった。民主主義の時代になったことを改めて感じさせる。その後の世代では、小池光や藤原龍一郎がいる。
試みに、茂吉(全十七歌集)、塚本(全二十四序数歌集)、小池(刊行八歌集)について、人名の出現頻度を調べてみると、大まかに言って順に、3%、10%、10%となった。塚本と小池がいかに多くの人名を取りあげているかが瞭然。関心の高い分野別にみると、三人とも一位、二位が文芸、政治・軍事となって共通している。茂吉は美術分野に関心は高いが、音楽分野には低い。塚本と小池は美術、音楽の両分野に関心が高い。