天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

留魂歌(2/5)

福永武彦訳(河出文庫から)

遊離魂
遊離魂と言い留魂と言う時の魂とは、現代科学の立場からは、未練・執着心・心残りのことと割り切れば、理解できる。また形見や餞別は、相手の魂を見える形にしたもの、魂の代用品 と考えられる。
肉体から遊離してさまよう霊魂は,〈かげ〉そのものであった。そのような遊離魂を〈かげ〉と呼んだ用法は《日本書紀》《万葉集》に幾つも見当たる。病気や失神,夢などは霊魂の身体からの離脱であり、死は霊魂の永久離脱と解される。そして死者の霊魂を鎮める歌が挽歌である。
古典和歌から例をあげよう。魂を風や雲などに託している歌、直に詠み込んだ歌、魂を影として見る歌 などがある。先ず万葉集から、
 青旗の木幡の上を通ふとは目には見れども直に逢はぬかも
                      倭大后
天智天皇の病が重篤になった時に、天皇の魂が風に感じられるという。
 人はよし思ひ止むとも玉かづら影に見えつつ忘らえぬかも
                      倭大后
天智天皇が亡くなった後に詠まれた。面影が見えて忘れられない、と。
 直(ただ)に逢はば逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ
       柿本人麿の妻・依羅娘子(よさみのをとめ)
雲をよすがにして夫・人麿をしのびたい、と詠う。
 今城(いまき)なる小丘(をむれ)が上に雲だにも著(しる)くし立たば何か歎かむ
                     斉明天皇
皇孫建王(みまごたけるのみこと)の死を悼んで、せめて雲でも鮮やかに立ってほしい、と嘆く。
 夜のほどろ我が出でて来れば我妹子が思へりしくし面影に見ゆ
                     大伴家持
私が家から出ていく時の妻の思い詰めた様子が面影に見える、と詠う。
 我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影(かご)さへ見えてよに忘れらず
     防人歌・若倭部身麻呂(わかやまとべのむまろ)
郷里に残してきた妻は私を恋慕っていて、飲む水に影まで見える、と。
次は平安朝の歌から。
伊勢物語・百十段「魂結び」に、
 思ひあまりいでにし魂のあるならむ夜ぶかく見えば魂結びせよ
源氏物語・葵の巻に、
 なげきわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがひのつま
また古今和歌集の例として、
 限なき雲ゐのよそにわかるとも人を心におくらさむやは
                   よみ人しらす
 雲ゐにもかよふ心のおくれねばわかると人に見ゆばかりなり
                      深養父
など、魂を直に詠んだり、雲ゐによせて詠んでいる。
現代短歌では、死別時の挽歌に例をとろう。
 亡き夫の声に呼ばれし気配して冬づく野路の風に振りむく
                 廣瀬博美『日日抄』
 応えなき子と知りつつも呼びかける遠山なみのあした光るを
                稲垣道子『黒き葡萄』
 肩のこりひとりほぐしてゐる夜ふけ亡き母のこゑまぼろしに来る
                木俣 修『呼べば谺』
 鼻の奥うるみて亡母来てをりぬのつぺい汁の湯気の向かうに
               山本かね子『涅槃西風』
それぞれ野路の風、遠山なみの朝光、肩のこり、のつぺい汁などが亡き人の魂を呼ぶよすがになっているようだ。