歌集『朝涼』(4/4)
最後にこの歌集の作品を特徴づけている他の要因を考えてみたい。ひとつは短歌を奥ゆかしく感じさせる古典的語法である。現代語やカタカナの言葉に混じって古い言葉があると違和感よりも安心感がある。またユーモアのセンスも重要。家族の歌では、母や妻を詠んだ歌に泣かされる。
4.その他
□古典的語法 黒太字部に注目
那智の滝そびらにポーズとる妻の肩にかすかな虹架かりをり
歌詠むと筆もつわれの傍らに三方(さんぽう)もちて少女さもらふ
〈曲水の宴〉の果てたる養寿院まかりて宵の街をもとほる
遠ぞらにひかる稲妻うぶすなの群馬の方と見つつ恋ほしも
あかねさす君と初めて語らひし校庭すみのベンチも消えぬ
□ユーモア
しあはせとまさに謂ふべし昼ひなか留守番しつつ短歌詠むなど
お名前はツクネかチクネか質ねれば「焼鳥のツクネ」と
築根さん言ふ
きまじめな夫婦にあらむ並びつつ手足大きく振りて散歩す
となり家の犬を餌づけて吠ゆること防ぐはわれの密かな愉悦
見つからぬメガネさがすと別メガネでメガネさがすは忌忌しけれ
□家族の歌
ふるさとの母八十四われ六十むすこ二十四共に申(さる)どし
子ら三たり妻子をつれて七人が集ひてわれの古希祝ふとぞ
いとこの訃ありておもむくふるさとにはや父母も亡く兄もおとろふ
[両親] 25首(5.1%)
米寿なる竹山広うた詠めど同年の母うた忘れたり
わが捧げし歌の色紙を胸に抱く棺のなかの母のうつしみ
ふるさとにもう父母は無しふるさとを初めて訪はず松の内過ぐ
父の日に父をおもへり新世紀待たずに逝きしふるさとの父
軽トラに小玉西瓜を満載し群馬より来し在りし日の母
[妻] 22首(4.5%)
「さちの池」ここの畔(ほとり)のこのベンチ妻となるべき
ひとと逢ひにき
棺のふた閉ざさるるとき「お父さんありがたうね」と妻つぶやきぬ
自転車を漕ぎゐるわれを追ひ越しざま運転席の妻が手を振る
フィレンツェの広場ではぐれし妻の名を呼べば人ごみの
ひとりがふり向く
「羽衣」の天女の謡に合はせつつひくく吟ずるかたはらの妻
[子供] 9首(1.8%)
出社する子が玄関を開けるおと寝間に聞きをり離職せし身は
三たりともむすこであれば花嫁とバージンロード永久にあゆめず
離れ住む息子に初子生まれたるながつき十日大き月出づ
三男の婚礼は明日三度目のスピーチ思案し闇に寝返る
癒やし系キャラなどと言はれ祝宴に息子はわれの知らぬ顔見す