祖父母を詠む(1/3)
祖父母を詠むことは、現代になってから増えたようだ。古典和歌では例が少ない。短歌を詠める年ごろからすると、祖父母を詠む場合が一番時間が離れており、記憶に頼ることが多い。それが歌数の少ない理由ともなっていよう。
親の親と思はましかば訪ひてまし我が子の子にはあらぬなるべし
拾遺集・源重之母
*「私を親の親と思うならば、当然訪ねただろうに。それなのに、ここに立ち寄らないあなたは、きっと我が子の子ではないのであろう。」
かたがたの親の親どち祝ふめりこの子の千代を思ひこそやれ
後拾遺集・藤原保昌
*「父方母方の親の親同士が孫の袴着を祝っているようです。子の子が輝かしく長生する事を私も心から願っています。」
祖父父母とつぎつぎ承(う)けて伝へたる血に疲れありとつぶやく吾子は
五島美代子
ただ一度われに拳をふるひたる生きてしあらば百歳の祖父よ
山本友一
多感にして若き命を終りたる明治びと祖父はひげ濃かりけり
岡野弘彦
祖父が植ゑし山の古木を伐り尽くし父のひと世はおほよそ過ぎぬ
岡野弘彦
病む祖母が寝ぐさき息にささやきし草葉のかげといふは何処ぞ
岡野弘彦