知の詩情(4/21)
小池光における温故知新ということで、先ずは斎藤茂吉から継承した技から見てゆこう。第一は、ユーモア。茂吉の例は大変多い。
大きなる都会(とくわい)のなかにたどりつきわれ平凡(へいぼん)に
盗難(たうなん)にあふ 『つゆじも』
上句のもの言いと下句の「平凡に」が笑いを誘う。
わが父も母もなかりし頃よりぞ湯殿(ゆどの)のやまに湯は湧(わ)きたまふ
『ともしび』
結句の過剰な敬語がおかしい。
山のべにくれなゐ深き白頭翁(おきなぐさ)ほほけしものは毛になりにけり
『たかはら』
雅から俗への転換である。
いにしへの和尚的(くわしやうてき)なる音たててゆふべの風は葦(あし)をわたりぬ
『のぼり路』
二句三句の言い回しが独特で面白い。
対して、小池の歌について。『草の庭』からだけでも、以下のような愉快な例を容易に挙げることが可能である。
法国梧桐(プラタナス)の木の実をひろふことをして南苑機場にひとときを待つ
[動詞+こと]で名詞句+を+し+て、となれば、やけに念のいった言い方となり、ユーモアが滲んでくる。
岩稜にかすかに生(は)える青草を略奪すればひとたび芳(かを)る
下句のおおげさな物言いに惹かれる。
数十羽しづかにゐたる鴉らはむろん雑談をすることもなし
副詞「むろん」と擬人法が効いている。
三人の兄ことごとくみな自殺して残されきユダヤ人ウィトゲンシュタイン
「ことごとく」で納めれば字余りにせずに済むのに、そこをわざわざ崩して、「みな」と念を入れて、ユーモアをかもす。