天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

知の詩情(3/21)

 今ではほとんど使われなくなったが、「温故知新」という言葉がある。現代短歌における「知の詩情」のフロンティアで、小池光ほどこの言葉がぴったり当てはまる歌人は他にいないのではないか。「古」の代表として、斎藤茂吉塚本邦雄を取りあげ、小池光が切り開いた「新」技法を明らかにしたい。
 斎藤茂吉からは、小池光著『茂吉を読む』でもわかるとおり、動詞・副詞・助詞・助動詞の使い方、表現の微妙な捻れ・ずれなどの工夫を学んだ。が一方、茂吉の歌には、実に自覚されていない(理性によって処理されていない、反省されていない)感想が読み込まれている、これが嫌悪感をさそう、と分析、批評精神が欠如していた点を指摘している。ここに小池は、茂吉の短歌にないものをうち出す明確な方向性を得た。
 塚本邦雄との共通点をあげると、題材が豊富であり視野が広い。古典、西洋文学、美術、音楽、哲学、小説、映画・演劇などから固有名詞をふんだんに取り上げる。さらに漢字への関心と表記の工夫、本歌取り・パロディなどがある。二人とも言葉の狩人なのだ。塚本邦雄の歌は知識(例えば、聖書)を前提として読みを要求する。この知識がなければ韻律には惹かれるが理解不能になる。小池光の場合は、塚本邦雄ほど難解でなくそれなりに楽しめる。ここに小池光の歌の特質が現れる。 

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小池光『茂吉を読む』