温故知新(7/9)
なお、思っていないと詠うことで、実は思っていることを暴露する歌は、斎藤茂吉が得意とする方法であった。次の例は有名。
はるばると一(ひと)すぢのみち見はるかす我は女犯(によぼん)を
おもはざりけり 『あらたま』
では、小池光の短歌における知の詩情の依って来る技法について詳しくみていこう。
初めに述べたように、知の詩情の契機となるものは、読者が短歌を読む際に感じる謎であり、立ち止まって考えさせる措辞である。
その第一に取り上げたい方法が、副詞・副詞句の意外で巧みな使い方である。小池光短歌の秘密・特徴の全てがここにある、といっても過言でない。ユーモアと批評つまりウィットの根源である。以下の引用歌で傍線を施しておいた。それぞれ、決して無理な使い方でなく、妙に説得力があっておかしい。一々の解説は不要であろう。
午後二時となりしばかりに鹿の湯のえんとつよりはや烟はのぼる
『日々の思い出』
粟つぶほどの熱心もなくなりてのち教ふる技(わざ)はいささかすすむ
『滴滴集』