天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

わが歌集・平成十年「茅の輪」

  東京湾横断橋は瀟洒なり秋の日差しに白く霞める

  死後遊ぶ庭とぞ思ふ池の辺に彼岸花咲き朱の橋かかる

  憲兵の刀の脅しもきかざりしジャパンブルーの「別れのブルース

  江ノ島の屋台に入りてコップ酒壺焼きに酌む子連れの夫婦

  山頂に山の幸売る媼ゐてわがひとり買ふ石榴と通草

  尾根ゆけば死人焼き場の塔見えて炎おこせるモーターの音

  海亀の卵盗りては輸出する楽園といふ南海の島

  国境の決定権は誰が持つジワジワ進む領土侵犯

  さよならと手のひら当てつ 立ち枯れし樹齢七百年の栃の木

  はるけきに伊豆大島の輝きて黒きサーファ波に乗りくる

  山去りてなほ耳底にひびきけり死人焼き場のモーターの音

 

     もののけ   六首

  緑濃きもののけ姫の映像に心安らぐ妻は居眠り

  角研ぎし牡鹿は雌を追ひゐるや木の皮めくれしらしら臭ふ

  たたなはる山のはざまの白子森マタギの忌みたるマモウ鳥棲む

  白山のふもとの家の冬明りあかときこごる黄の堅豆腐

  闇深き海の洞窟さまよひて息絶えし亀の骨の散らばる

  トモカヅキ除けに被れる手拭ひに一筆書きの海女の縫ひ取り

 

  白秋が三崎揚場(あげば)に聞きし声ひとよひとひと鯖を数ふる

  赤岳の山ふところの村歌舞伎収穫祝ひのおひねりが飛ぶ

  雷鳥を見かけし人に良きことのあるといふ山雪の降り積む

  さはさはと川面の空にはばたける朝を目覚めし白百合鴎

  白絹を死人に着する葬儀屋の指に触れにし乳房さみしゑ

  上人の手よりもらひし小さき札「南無阿弥陀仏」を妻に与へぬ

 

     ホスピス   七首

  子守歌聞きつつ逝きし友といふ庭に花咲く千葉のホスピス

  一と月を妻と過ごしぬホスピスに洗礼受けし若きわが友

  幸せな一と月でしたとふ奥さんの言葉に涙流れやまざり

  ジョセフ・アツシ・イナモトと異人の牧師呼びかけて聖水撒きぬ花咲く柩

  残されしわれらのためか高らかに壇上に読むヨハネ黙示録

  両脇を支へられつつ父は子の柩に捧ぐ一輪の花

  ひととせを独身寮の相部屋にわれら暮しぬあの山の上

 

  銀狐首に巻きつけゆく女人(ひと)のふつと男に化くる一瞬

  ユメナマコ富士の裾野のなだれ込む駿河トラフに棲む深海魚

 

     レクイエム   五首

  密通の証拠写真といはれをりFLASHを買ふ朝のキオスク

  「お葬式」を撮りし屋敷に監督の柩置かれて葬式はなく

  繊細なる夫の自殺を怒る妻柩を横に「ビデオ見ましょ」

  監督の荼毘の煙を見むと来し真鶴岬冬至曇れる

  天国(ハライソ)に撮り続けゐむ。妻なれば女優なればなほ、後追ひたしと

 

  冬木立梢の穂先ちりちりと青きガラスの空を突き刺す

  人けなき神社境内日の暮れを猫が一匹茅の輪くぐりぬ

  アルゼンチンタンゴの曲に滑りゆくホワイトリングのなまめく二人

  川の辺に乗り捨てられし自動車にはみ出してゐる毛布と蒲団

  磨り減りし古きタイヤの捨てられて雪に埋もる農道の土手

  あらたまの朝日子生るる山の端に闇の裳裾の吹き払はれて

  白秋の秋成が書の歌碑の文字ほそほそとしてかなしかりけり

  特別にと押して頂く布袋尊朱印に払ふ二百円也

  血の脂(あぶら)流して果てし一族の名残光れる油壺湾

  目の悪き老婆ふたりのたづさへて古札納む舞殿の庭

  磨り減りし靴の踵を見てをりぬ梅林行きのバス待つベンチ

  左右に見る房総の海東京湾鋸山の刃の尾根をゆく

  先代の枯れたる幹を抱き立つ樹齢二千年の大楠

  黒き粒木の実の種と見分かざりオホナナフシの卵の擬態

  尻尾立ててワオキツネザルゆく道の舗装さるるも島の文明

  薄野に雪降りくれば椋鳥の群れてついばむナナカマドの実

  コアジサシの雛を襲ひ来東京湾ごみ埋立地ハシブトガラス

  サーファがボード抱へて震へゐる星の井通り春の海見ゆ

  七人の家族養ふ潜水漁鉄輪鳴らし海底駈くる

  肩に手をつらなりてくる「森の人(おらんうーたん)」極楽鳥と島に住まへり

  正月の釣り宿に食ぶ釣れざりし鰺のたたきと鮪の刺身

  ずんぐりの徳利つかみてひとり酌む歌詠む昼の雪の祝日

  緊張に浅き眠りを目覚むればかなた真白きジャンプ台見ゆ

  帽子とらず国旗掲揚に真向かへり幼な顔なる金メダリスト

  入生田(いりゆうだ)にうるめ丸干購ひぬ地球博物館を出で来て

  二万円は金券支給ぴらぴらと買ひたきものの無くも数ふる

  季節無き性欲と思ふ境内に鳩の交尾を見る年の暮

  急降下急上昇を繰り返す春田の空の模型飛行機

  綱切ればいづこ落ち行く大凧の空に留まり人を引きずる

  銃弾をあまた抱ける大楠の暗々と立つ田原坂

  時折に転がしてみる七転び八起きのダルマ本棚に古る

  パソコンは高価な玩具そのうちに埃被ると妻は嘆くも

  御仏に向かひて独り墨を磨る人に見とれし草木瓜(くさぼけ)の花

  くれなゐの水噴き出だすごと咲けり白き桜の中に枝垂れて

  足地蔵耳地蔵にも手合はせる医者無き里に春は来にけり

 

     竹久夢二   三首

  ふるき家の居間に蜜柑を剥きくれしかなしき姉の膝枕はも

  叱られて土蔵に泣きしとほき日や姉の名前が柱に残る

  あくがるる別るるまたも恋をする姉の面影求めやまざり

 

  ベランダにハンガー並び風に揺る夫婦ふたりになりしマンション

  戦争に行きて帰らぬ兄なればいまだ焚き得ず彼の伐りし薪

  シーソーのきしみのどけき鵠沼の岸を離るる白きクルーザー

  頭(づ)に肩にふれて祈れる長谷寺のさはり大黒春風が吹く

  石古りし文化四年の常夜燈白木蓮の蕾ふくらむ

  御仏の蓮の台(うてな)をつるばみの妻は彫りゐる家に籠もりて

  里近き林の奥に我を見し雨降山の春の小牡鹿

  「ホームよし」「ドアよし」とぞ声に出し新任車掌は発車ベル押す

 

     御苑の花見   六首

  「絵を描いてゐる」と声かけ人どかす日曜画家の紅枝垂れ花

  地を覆ひ棚引く花の雲間より建築中のビルかすみ立つ

  花の下ベンチに寝ねて空見れば枝ちぢれたる裸鈴懸

  病みたれば伐られしならむ切り口に樹液溜めたる桜太枝

  くれなゐの水噴き出だすごと咲けり白き桜の中に枝垂るる

  棚引ける花の白雲下蔭に黄の水仙の群立ちて咲く

 

  ヒマラヤのシェルパの村に伝はれり鶴の山越え励ます踊り

  新入りの船頭が漕ぐ保津川の櫂のさばきに水ぬるむかも

  空よりもなほ碧き湖チベットの山間にある四千の湖

  水槽のアカウミガメに不服あり魚の切り身にそむきて眠る

  この頃の何の怒りぞ腕に巻く血圧計の赤き点滅

  石壁となりて並びし地蔵尊宝永正徳年を経にける

  ボッポポウ仏法僧を聞きゐたり梅の木尾根の夜叉節の木々

  山下りてバスも電車も窓際のぬくとき五月の日射しに眠る

  樅、櫟、杉、山毛欅、欅 夕されば森の静寂(しじま)をムササビが飛ぶ

  南無飯縄(いづな)大権現の護摩修業緑の袈裟の僧が居並ぶ

  青首をふるひ立ててぞ交尾する神社の鳩の神がかりなる

  崑崙花萼苞白く目立ちたれ花は小さき黄の筒状花

  アフリカン・ドラムのリズムタムタムと踊り出だせり倭人をさな児

  くれなゐの口はかなしも底知れぬ食欲持てる郭公の雛

  虫来ざる露草の花夕されば雌蕊雄蕊を抱きて萎む

  黄覆輪龍舌蘭の葉がうねる株ゆ岐(わか)るるメディウサの髪

  過激派があなたの近く潜むといふ地下鉄駅の警察のビラ

  しばらくを揚羽の群と共にゐき蜜柑の花咲く山の畑に

  ネパールの国鳥といふ虹雉のはではでの雄ぢみぢみの雌

  百姓が朝(あした)の山に採りにけむ酒の肴の独活(うど)とたらの芽

  出社して電子メールを先ず見るはアメリカにゐる虎の報告

  聞こゆるはヒマラヤ越ゆる鶴の声カランカランクルン蕎麦の収穫

  三番瀬干潟に棲めるマメコブシガニはかなしも縦に歩くよ

  実桜の踏みつぶされて汚れたる舗装道路は無表情なり

  足弱き人先に立て山下る団体憎む我ならずやも

  百姓が朝(あした)の山に採りにけむ酒の肴の独活(うど)とたらの芽

  出社して電子メールを先ず見るはアメリカにゐる虎の報告

  聞こゆるはヒマラヤ越ゆる鶴の声カランカランクルン蕎麦の収穫

  三番瀬干潟に棲めるマメコブシガニはかなしも縦に歩くよ

  実桜の踏みつぶされて汚れたる舗装道路は無表情なり

  足弱き人先に立て山下る団体憎む我ならずやも

  奨励賞受けしとふ妻の電話受く梅雨の窓辺の会社の机

  白鳥の尾羽引っ張る悪童の像の池の面薔薇影揺るる

  大雄山駅の改札口近く小さき池あり亀甲羅干す

  たまゆらを揚羽の群と共にゐき蜜柑の花咲く山の畑に

  コーランの祈り響かふ熱き国泥のモスクに鳩棲みつけり

  放牧の牛のめぐりを離れざり虫飛び立つを待てるアマサギ

  泡の巣の卵盗みて吸ひをりぬ蓮の葉の辺のセスジアメンボ

  熱田の宮国宝館に展示さる銀砂光れる南極の石

  薔薇の首切り落としたり蘭丸の仁王立ちなる火の本能寺

  くれなゐの口はかなしも底知れぬ食欲持てる郭公の雛

  足柄の次は螢田きしりつつ走る電車に水張田の見ゆ

  どれもみな青磁の色の卵なればエナガ抱けり区別なかりき

  そのかみの戦のプロが住みし城再建なりし銅(あかがね)の門

  粗暴なる性を理由の詰め腹や二十八歳の一生ありにき

  土牢の闇を閉ざせる格子戸を出で入る藪蚊誰の血を吸ふ

  昭和二年頼朝の墓に指定さる槙、椨、楠の囲む石塔

  人身事故のありしを知らず妻が待つ鰻食はむと鎌倉駅

  歩道橋の脇に自転車たてかけて車見てゐるいつも土曜日

  点検の終りを告ぐる無線機が線路工夫の腰に鳴りたり

  口開きて奥の虫歯をのぞきゐる鏡の顔を我は憎めり

 

     ごみ   六首

  魚の骨貝殻出づる基礎工事古代のごみの上に家建つ

  裏長屋にごみの余裕はなかりけり たが屋、鋳掛け屋、ボロ買ひがくる

  生ごみコンポストといふ再利用 花咲爺にわれもならむか

  使用済みPETボトルを再生のシャツを着てゐるわがサラリーマン

  夢の島ごみの海より引き揚げし第五福竜丸の思ひ出

  電源の切れて死にたる衛星のあまたが囲む水の惑星

 

  花咲ける庭の杏に縄掛けてふらここ遊ぶカラコルムの子ら

  正座して手を摺り合はせ鯨魚(いさな)獲り祈るがごとく唄ふ祝歌(ほぎうた)

  放牧の牛のめぐりを離れざり虫飛び立つを待てる天鷺

  舌に押すカメラのシャッター花々の視線の中に撮りし虫達

  地を這ふがごとき視線に写真撮る田島隆宏『うたがきこえる』

  日照りにも水の涸れざる窪みあり天津磐境(あまついはさか)馬降りの石

  シベリアの凍土に死せるマンモスを顕微鏡下に揺り起こすらし

  来る人に匂ひかがすや山百合の身を乗り出せる石の階(きざはし)

  半僧坊大権現の絵馬に見る祈願の文の涙ぐましも

  われもまた鰻を好む性なれど日に二度まではためしなかりき

  うねうねと坂登りゆく箱根路のバスアナウンス次は蛇骨野(じやこつの)

  人の子に並ぶ子犬は尾を振りて朝の舗道を足早にゆく

  日曜の朝の眠りを運び来ぬ夜行寝台列車「東海」

  イヌマキのひどく捻れし幹を見れば意固地なる人面影に立つ

 

     懐かしき大和(一)   五首

  興福寺阿修羅を恋ひて夏休み初日旅立つ新幹線に

  奈良公園客に寄りくるさ男鹿のしののに濡るる瞳まがなし

  ファインダー覗ける妻は幾たびもボケてると言ひシャッターを切る

  わが覗くファインダーにはくつきりと若草山は夏空の下

  御仏を彫る妻あはれ家籠り暗き灯の下目を酷使する

 

  母と子が腰をかがめて台に立つ暖簾の内のプリント倶楽部

  木がかをる妻の手に成る観世音菩薩立像わが枕上(まくらがみ)

  都会派の隼高きビルに棲みネオンの陰に鳩を食み裂く

  えのしま行きロマンスカーの席にゐる縁破れたる麦藁帽子

  かけ、月見、きつねとたぬき比ぶればかけ五十円安きスタンド

  首振りて羆は向きを変へにけり朴の木蔭にわがあかず見る

  楽しみはおこもりといふ祈願祭飲んで踊って媼なまめく

  噴き出づる水に打たれて動かざり耳うち扇ぐアフリカ象

  蜜蜂の群るる羽音と気付きけり花散り匂ふ槐(ゑんじゆ)の並木

  釣られたるセイゴは紐に繋がれて秋潮寄する岸辺に泳ぐ

  シロマダラ、ヒバカリ、マムシ、ヤマカガシ日本の蛇の名前麗(うるは)し

  黒こげのコッペパンとも見えにけりオヴィラプトルの卵化石は

  身震ひて卵放てる赤手蟹たちまち鯔(ぼら)の稚魚群れて食む

 

     懐かしき大和(二)   六首

  牡鹿のみ群れて寝そべる興福寺土塀の蔭ににれがみゐたり

  扇の香横にかをれる電車にて京終(きやうばて)、帯解(おびどけ)、巻向(まきむく)を過ぐ

  朱の橋を渡れば白き塀ありて女人高野の山門に入る

  御仏の前去り難き妻おきてわが涼みゐる石のきざはし

  法隆寺堂塔伽藍の黒澄みてみそらのはてに夏の雲立つ

  胃下垂を病みたまへるや細々と飛鳥仏の不可思議なる笑み

 

  切り出せる割肌に吹く山の風尾花が触るる白御影石

  石灯籠一筋並ぶ芋畑は特攻兵士の飛び立ちし跡

  樹々騒ぐ台風近き境内に遊行かぶきの判官の声

  餌箱の雛を目守りて静かなりカンムリサケビドリのつがひは

  一生を添ひ遂ぐるとふアホウドリ若きは模型(デコイ)に恋を迫るも

  黒猫の金色の目に見つめられ貴船神社の階(きざはし)登る

  ペディキュアのお指そろへて座りたる電車の席にわが向かゐる

  うつむきて山路下れるわが影を見つつし聞ける谷川の声

  ナミブ砂漠パルマトゲコは哀しきろ目玉に降りし霧を舐め生く

  曼陀羅の思想を厭ふこの世にも仏の世にも序列ありけり

  地の霊を鎮むる幣の立てられて簡易トイレの置かるる更地

 

     懐かしき大和(三)   五首

  たわたわに青き実のなる奄羅樹(あんらじゆ)の中宮寺門夏の日盛り

  ひさかたの光あまねき薬師寺の白き土踏む日傘の妻は

  「また会ひに来ました」黒き御仏を仰ぎて坐る東院堂に

  左手に天竺人は飯を食む 乙女に理由(わけ)を説く寺男

  日に焼くる歴史の道に耐へかねて自販機に買ふ「力水(ちからみづ)」かな

 

  見回せど見当たらざりし誰か吹くバスの中なる口笛はつか

  海底にひとつころがる耳包骨(じはうこつ)鯨の聞きし音の思い出

  みすずかる信濃の山の空たかみ夏の雲ゆき秋の雲くる

  松の木の太き木立ゆ見る海の霞める沖を白き船ゆく

  シャツ替ふる所かまはぬ我なれど荏柄神社の巫女が気にする

  同僚が上司になる日恨まむか出向先の弱体なるを

  彗星の尾の中に入る惑星の北のはたてに星降り注ぐ

  魚は森に付くとふ教へ忘れたる伐採の島魚の獲れざる

  窓際の座席の夫を仰向かせ目薬させる老婆ゆらげり

  年金の話にはずむ媼らの一連と会ふ明星ヶ岳

  聞こえくる大杉木立の息づかひ野分の跡の木漏れ日の中

  うとましき仕事の顔を忘れむとひたに分け行く薄の穂波

  かなしもよ性同一性障害の手術の後に心病むといふ

  目覚むれば髭の男が窓際の座席に吾を見つめてゐたり

  前脚を気にするごとく首振りぬサイレンススズカ終(つひ)のパドック

 

     小田原   五首

  「人たるもの五倫の道を」と太政官高札立てし明治元年

  雑兵の駆け下りけむ城山の木立の道をわが登りゆく

  幹の皮輪切に削がれ松死せり安楽死とはほど遠かりき

  手拭にあまた付きたる牛膝(ゐのこづち)とりつつ山にものを思へり

  下半身魚なる馬にまたがりて剣振り上ぐ船の女神は

 

ダルマ