天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鎌倉文学館 ―夏目漱石展―

鎌倉文学館

         極楽寺
忍性の墓を守りて寺を継ぐ地に散り敷ける青桐の花


         成就院
      紫陽花の雨にけぶるや由比ヶ浜


         権五郎神社
      神主の狩衣が入る青葉闇


         長谷寺
      法要の木魚眠たき五月かな


         光則寺
      長生きの孔雀啼くなり青葉闇
      リス啼くや青葉若葉の谷戸の山
      土竉へ青葉の磴をのぼりけり
      緑さす土竉御書の碑文かな
石楠花の赤ひときはに目に沁むる若葉青葉のしたたれる谷戸
土竉の中落石に蓋はれて石仏ひとつ壁際に立つ


         甘縄神明宮
      蜜蜂の群るる声聞く神明社
時宗公産湯の井とは書きたれど屋根に覆へる竹垣の内


         鎌倉文学館
俳句に関する漱石と子規の関係で私にとっては新しい事実を知った。明治二十八年、建長寺で詠んだ俳句に、「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」がある。その二ヵ月後に、子規の名吟 「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」が生まれた、という。もうひとつ、送られてくる漱石の句の中で、子規が見て二重丸をつけた俳句に「雲来り雲去る瀑の紅葉かな」があるが、漱石自身気に入っていたらしく、上五中七からとった「雲去来」という言葉を、漱石は書の揮毫に用いた。
     
「先生」と「私」がはじめて出会ひしは由比ヶ浜なり『こころ』の場面
漱石の胃病痔疾の放屁なれ破障子の風に鳴る音
刻印の「破障子」に由来あり放屁かなしき風に鳴る音
今回もまた展示せるデスマスク定番メニューの黒光りせる
『明暗』も『こころ』もここに書きけると今に光れる紫檀の机
アルテシモ深紅の薔薇の垣根越し文学館の青き屋根見る 
      漱石の額光れり青葉闇
      薔薇かほる文学館の青き屋根
      屋根青き若葉明りの文学館


         帰途の江ノ電
貝殻のあまた光れる虫籠を持ちて母子が江ノ電に行く