天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

大岡越前守忠相

浄見寺

十一時二十五分、茅ヶ崎駅から文教大学行きのバスに乗って二十分ばかり走り、堤坂下で下車する。そこから歩いて更に二十分ばかり、窓月山・浄見寺に着く。浄土宗のお寺であり、大岡一族の菩提寺である。天正十九年(一五九一)二代目忠政は、徳川家康から堤村を与えられ、その後慶長十六年(一六一一)に浄見寺を建立した、と案内板に書かれてある。梛、銀杏、椎、椨、桜、欅、スダジイ、あかがし、杻など樹齢数百年もある大木の群に囲まれて大岡家一族十四代までの墓が並ぶ。壮観である。石段を登ったところに歌碑、句碑が四つほど並ぶが、中に川田順の次の歌を見つけた。昭和三十七年四月六日建立とある。
    越前守大岡公の紋どころ銀杏の実こそ踏むに惜しけれ

この歌碑のそばに樹齢二百年前後というオハツキイチョウが、枝も幹も切り払われて立っている。この木は、葉にギンナンが結実するイチョウの変種という。


    大岡家一族墓所の墓石のあまた立ちたるさがみのの森
    相模野に宅地開発すすみきて椎の実落つる忠相の墓
    太枝も幹も払はれ大木の銀杏、梛、椎みな片端なる
    鎌足が始祖の家系図家紋には大岡七宝剣輪違
    講談に映画、テレビに登場し今を沸かせる大岡裁き
    俗名は大岡越前守藤原忠相行年七十五歳とありき


       勤行の聲鉦の音濃紫陽花
       相模野やキャベツ畑に蝶生るる