天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

日向薬師

日向薬師

 日向薬師は、相模に聳える大山の麓にある真言宗の寺である。小田急線・伊勢原驛からバスで二十分ほどのところにある。標高一二五一メートルの大山の谷間に拓いた棚田に稲が熟れ赤とんぼが飛びかう風景が忘れがたい。棚田をふちどる彼岸花の列もなつかしく美しい。奥の日向渓谷には、大山帰りの登山者が入る温泉のクアハウスがあり、今までに何度か浸かった。関東ふれあいの道として薬師林道が七沢温泉、巡礼峠へ通じる。また、裏山を越えれば広沢寺温泉に出る。
 境内には、スダジイ、イロハモミジ、タブノキケヤキなど自然植生とスギの植栽が相をなす。
日向薬師は通称。日向山霊山寺・宝城坊が正式名称。霊亀二年(七一六)行基により開かれた。薬師信仰は奈良時代に盛んになり全国に広まった。薬師如来は、東方瑠璃山に在って、現世の利益を願う尊(ほとけ)である。真言は「おんころころせんだりまとうぎそわか」。行基薬師如来を深く信仰し、その教えに従い、各地に農業用水池・橋・道路をつくった。
鐘楼のそばに二本の大杉がある。幡(はた)かけの杉という。足利基氏が幡をかけ、平和と五穀豊穣を祈ったところから、そのように呼ばれる。樹高はそれぞれ三三メートル、三五メートル、樹齢は約八百年という。かながわの名木百選のひとつ。県の天然記念物に指定されている。
境内にはまた平安中期の歌人相模の次の和歌の石碑がある。石碑自体は新しいが。
  さして来し日向の山を頼む身は目も明らかに見えざらめやは
新編相模風土記に、寛仁年間に相模の国司大江公資の妻相模が、眼病平癒の祈願をしてここに参籠し、和歌を詠じたことが記されているという。


   伊勢原の名前よろしく街路樹の百日紅咲くバスのゆく道
   栽培の栗の実ならむ毬栗が口開け落す石垣の畑
   大姫の快癒祈願に頼朝が諸将従へ詣でし処
   きららかに日向薬師に馬並めし頼朝と将衣装あらたむ
   馬下りて衣をあらためし衣装場は「いしば」と呼ばれ山門の下
   きららかに日向薬師に馬並めて願かけに來し頼朝と将
   大いなる赤き阿吽が守りたる山門くぐり階段のぼる
   いつよりぞ渦状紋のあらはるる踏みならされし大岩の肌
   藁屋根の軒下に今もかかりたり日向薬師のおほき蜂の巣
   酸漿と秋海棠を避けて刈る日向薬師の草刈の鎌
   樹齢約八百年と書かれたり天辺見えぬ幡かけの杉
   眼病の平癒祈りて参籠の相模が詠みし和歌のいしぶみ
   千年を日向薬師に生き継ぎて秋を知らせるつくつく法師


       虫食ひの穴のあはれや酔芙蓉
       谷間(たにあひ)の風に色づく稲穂かな
       黄金の棚田ことほぐ曼珠沙華