天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

子恋の森

伊豆山の白山神社

 「短歌人」6月号、水のある風景 に和賀江嶋のことを書いたが、源実朝のことが潜在意識に残っていたせいか、彼と縁の深い熱海の伊豆山神社にきてしまった。三度目か四度目になる。
 境内の説明板によると、伊豆山神社は子恋の森の一部で、古来、伊豆大権現、走湯大権現、あるいは伊豆御宮、走湯山などと呼ばれていたが、明治の神仏分離令により現在の名前に改称された。梁塵秘抄に「四方の霊験所は、伊豆の走湯、信濃の戸隠、駿河の富士山、伯の大山」と記されている。伊豆山神社から山奥に登っていくと白山神社がある。小さな祠である。古来、病気平癒・厄難消除の神として庶民の信仰が厚いという。
 子恋の森は、その昔、「古々比の森」「古々井の森」とも呼ばれ歌にも詠まれた。枕草子にも「杜はこごひ」とあり、ほととぎすの名所として知られていた。今回もその声を聞いた。


      征清軍凱旋記念碑諸葛菜
      薄闇の子恋の森のほととぎす


  足腰の衰へを知る石段の中途に役の行者御座せり


  ナギ、イタジイ、アラカシ、クロマツコウヤマキ
  クスノキが立つ伊豆山神社


  下枝の梢地に触ふ高野槙伊豆山神社の庭に古りたり
  実朝の歌の三首も書かれたり伊豆山神社の由来説く板
  山道をふさぎ倒れし大木の下をくぐりて伊豆山をゆく
  行く人のなき山道の落葉ふみ白山神社のいはくらに遭う
  いはくらに鎮座したまふ神あれば礼してすぐる白山神社
  頼朝と政子の逢瀬知るといふ子恋の森に啼くほととぎす
  雨あとの道に石くれあらはれて歩き難しも子恋の森は
  たたなはる岩に苔蒸しくすの木の古きが立てば注連縄わたす
  うたまくら古々井の杜をめぐりきて伊豆山神社の石階下る
  ナギ四本立ちてかしこき伊豆山の社前の空をつばめ飛び交ふ
  両側に葉桜ならぶ石階を下りて海辺の走り湯を見る
  実朝が歌に詠みたる走り湯を山のふもとの洞窟に見る
  伊豆山の麓に開きし洞窟の奥処にひびく走り湯の音