天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

野島

乙艫帰帆の航路

 横浜八景島には何度もいったが、今日は、安藤広重金沢八景のひとつ「野島の夕照」で知られた野島に行く。平潟湾の入り口にある小さな島であるが、発掘された貝塚の歴史によると、縄文時代早期後葉、すなわち紀元前六、七千年以降から生活の痕跡があった。マガキ、オオヘビガイを主体とした貝殻、鹿角製釣り針、シカ、イルカなどの獣魚骨が出た。
丘の上の展望台からは、三百六十度見渡せる。八景のうち「乙艫(おつとも)の帰帆」は、野島から柴漁港に帰る帆船の群の光景であり、その航路がここからよくわかる。島には人家、公園、稲荷神社、伊藤博文の旧別荘などがある。博文は明治憲法の案を近くの洲崎の旅館で作り上げたというが、制定後に野島に別荘を立てたらしい。旧別荘は崩れそうな佇まいであり金網の柵で囲まれて人を寄せ付けない。柵の横に尾山篤二郎の野島歌碑を見つけた。
   枯山も温とましげに靄籠り安らやすらと暮れゆかんとす
表の文字はまったく見えないが、裏の説明から晩年の作で自筆ということがわかる。なぜここに彼の歌碑があるのか、この地との関りが不明。帰りは、アナゴ、シャコが名産の柴漁港に寄った。大半の船は漁に出ているのか、駐車場は小型の自動車で一杯だが、閑散としていた。

       バーベキューの竈に散れるもみぢかな
   あからひく朝日に向かひ鵜の鳥が羽をやすめるマストの先に
   カヌーこぐ波にをどろき平潟の水面をかけて海鵜とび立つ
   黄葉のさくらけやきの散りそむる野島の空に鳶あまた舞ふ
   紀元前六千年の貝塚と知りてこひしき野島の夕陽
   草庵のごとくふりたる別荘の庭にかがよふつはぶきの花