天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

聖書と短歌

 『ダ・ヴィンチ・コード』に刺激され、あらためて聖書の内容を詠んだ短歌に興味が湧いてきた。第一にあげるべき歌人は言わずと知れた塚本邦雄である。藤原俊成の判詞に出てきた有名な「源氏見ざる歌よみは遺恨の事なり」という言葉をもじって、「聖書見ザルハ遺恨ノ事」という副題で『独断の栄耀』という本を出している。これは、同志社女子大教授で宗教部長であった安森敏隆との対談集であり、聖書と短歌が縦横に論じられている。斉藤茂吉、葛原妙子、岡井隆塚本邦雄の四人が代表格である。うち、葛原と岡井がキリスト教の信者であった。『ダ・ヴィンチ・コード』では、マグダラのマリアが中心人物であるが、この女性を詠んだ歌人は、茂吉と岡井のふたりだけのようだ。茂吉の歌は歌集『寒雲』のもので対談に出てくるが、岡井の歌は、最近の歌集『伊太利亜』から探してきた。対談時のものではない。


  とほき彼方の壁の上にはくらなゐの衣を着たる
  マリア・マグダレナ          斉藤茂吉
  マグダラのマリアは視たりキリストをひたとみつむる
  聖母マリアを             岡井隆


茂吉の歌に関して、『独断の栄耀』で面白いのは、塚本が、茂吉の歌は嘘っぱちだと指摘しているところである。塚本は茂吉が見たスクロヴェーニ礼拝堂のジオット作の絵を、後に実際に現地に行って見た上での発言なのだ。嘘なのは、「とほき彼方」「くらなゐの衣」の二箇所。観光客の手が届くくらいの位置にあり、衣の色は淡いピンクの感じ、という。茂吉の歌は、箱根強羅山荘での回想詠であり、岡井の歌はリアルタイムの旅行詠である。だが、歌の優劣で見ると茂吉の方に軍配をあげる人がありそうである。岡井の歌は、心理的な読みをすると奥行きがでてくる。
 ただ、どの歌人もイエスの子をマグダラのマリアが宿したのではないか、という疑いの視点では歌を詠んでいない。 もし『ダ・ヴィンチ・コード』を塚本が読んだらなんと言ったか、絶賛したのではないか、大変興味がある。